日本酒のこと  (13)
  酒の歳時記               安原敬裕

 先に送られてきた『春耕令和余香集』を鑑賞していたところ阿部月山子氏の「雉子酒を酌んで宴のまたぎ衆」という聞きなれない季語を使用した句を拝見しました。雉子酒は新年の季語であり「熱燗に薄く削いで炭火で炙った雉子の肉を浸した酒で、新年に宮中や宮家を参賀した人々が賜る酒」と解説されています。
 日本酒は古来より日本人の生活に深く根差した国酒であり、それだけに四季おりおりのお酒の楽しみ方があります。この雉子酒という季語を知ったことを契機に改めて歳時記を繰りお酒に関する季語を整理してみました。
 春耕の皆様には言わずもがなですが、春の季語には「梅見酒」、雛の節句の「白酒(蒸した糯米を麴、味醂で醸したリキュール類の酒)」、「治聾酒」、「花見酒」等が、夏の季語には端午の節句の「菖蒲酒(根や葉を日本酒に浸した酒)」、「甘酒」、「冷酒」、「麦酒」、「焼酎」等があります。冷酒は別に「涼み酒」とか「ひぐらし酒」の風流な呼び名があります。
 秋の季語としては「月見酒」、重陽の節句の「菊酒」、「紅葉酒」、「温め酒」、「新酒」、「古酒」、「どぶろく」、「猿酒」等があります。注意を要するのは新酒と古酒です。現在の酒蔵で造られる新酒は冬場であり季語とのズレが指摘される由縁です。古酒は季語では前年の酒という意味ですが、今日では5年、10年と長期貯蔵した熟成酒のことを指します。そして、冬の季語には「燗酒」、「雪見酒」、「鰭酒」、「玉子酒」、「生姜酒」、「おでん酒」、「寝酒」、「杜氏来る」、「寒造り」等があり、「屠蘇」、「年酒」等は新年の季語です。
 これらのなかで使用頻度が高い季語の一つに「鰭酒」があります。炙った河豚の鰭に沸騰直前の熱燗を注いで蓋をしてエキスを出し、燐寸で火を点けてから飲むお酒です。鰭の代わりに河豚刺を入れたものは身酒と呼ばれます。歳時記には載っていませんが「骨酒」という飲み方があります。これは一尾をまるごと焼いた岩魚や鮎等に熱燗を注いでエキスを出したお酒のことであり、岩魚の骨酒とすれば立派な夏の季語になります。先の雉子酒も河豚の鰭酒も骨酒の一種であり全国各地でお国自慢の骨酒が飲まれています。
 松山勤務時代に、東京から来た友人数人と今治のおばちゃんと呼ばれる女将が営む居酒屋で飲んだ時のことです。熱々に焼かれた見事な桜鯛を大きな漆の盃に入れ、そこへ一升瓶で二本分の熱燗が注がれました。これに蓋をすると同時に店の電灯が消されました。そして蓋を取り燐寸で火を点けると青い大きな炎が立ち上がり、居合わせた客から大きな歓声と拍手が湧き起こりました。この骨酒は店の客全員に振舞うのがルールであり、飲み干した後の酒の浸みこんだ桜鯛は絶品でした。私の顔を立てて遠来の客人を驚かそうとした女将の心遣いでした。店の隅では来島海峡でこの桜鯛を釣った小柄な漁師さんが帰りの電車の時間を気にしながら美味しそうに飲んでいました。
鰭酒に燐寸奉行のをりにけり上野直江