日本酒のこと (10)
杜氏来る 安原敬裕
「杜氏来る」はご存知のように冬の季語です。杜氏とは、日本酒造りの技能集団である蔵人(くらびと)を統括する役職のことです。毎年11月に入ると酒蔵には杜氏を筆頭に蔵人の集団がやって来ます。そして、寒造りの酒を搾り切った3月には集団で出身の故郷へ帰っていきます。
ところで、日本に数多くある酒蔵の大半は江戸から明治時代にかけて庄屋や大地主といった米に関係する由緒ある家柄により創業されました。その経営者は蔵元(くらもと)と呼びますが、一昔前までは地域の顔役、旦那衆としての仕事に忙しく、酒造り実務は杜氏と蔵人に全面委任し決して口を挟むことはありませんでした。それだけに蔵元の最大の関心事は、如何にして優秀で信頼の置ける杜氏を確保するかにありました。
その杜氏の出身地は全国多岐にわたりますが、人数も多く有名なのが越後、南部を筆頭に山内(秋田)、能登、丹波、広島、筑後等です。杜氏は自分の村の近在者を蔵人として採用し、農閑期となる冬場に徒党を組んで全国の酒蔵へ出稼ぎとして住込みで働きます。また、杜氏の出身地ごとに働く酒蔵のエリアが決まっているのが一般的であり、例えば灘五郷の酒造りは丹波杜氏が担っていました。出身地の丹波篠山の有名な民謡デカンショ節には「灘のお酒はどなたが造る アラヨイ おらが自慢の丹波杜氏 ヨーオイ ヨーオイ デッカンショ」の一節があります。
蔵人のトップは杜氏であり、その配下に杜氏を補佐する頭、蒸米担当の釜屋、米麴担当の麴師(こうじし)、酒母担当の酛師(もとし)等を置く分業体制になっています。かっての酒造りは微生物を相手の24時間気の抜けない重労働の世界であり、今でも杜氏の命令を絶対とする厳しい上下関係にあります。そして、杜氏は技術面に加えて飲む人を唸らせる芸術的な感性も要求されます。それだけに、杜氏になれるのは極く一部の選ばれた蔵人であり、酒造界だけでなく出身地域でも大変な敬意を払われる存在です。
しかし、杜氏を巡る環境は大きく変化しています。一つは酒蔵数の激減であり、昭和40年当時に二万八千あったものが現在では千五百を切っています。それ以上に深刻なのは、農村地帯における出稼ぎ自体が過去のものとなり蔵人の志願者が激減していることです。云わば人材の需要と供給ともに先細るという厳しい状況に置かれています。
勿論、越後や南部等では伝統技能の後継者育成のための教育課程を整備するとか、酒蔵自体も杜氏や蔵人を季節雇用ではなく通年雇用にする等の対応に懸命です。加えて、蔵元やその子供がかつての旦那意識を捨て自らが杜氏となり新しい酒造りに挑戦するケースが増えています。これについては改めて触れたいと思います。
杜氏来る能登の魚醤を手土産に敬裕
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