日本酒のこと  (4)
 日本酒の進化               安原敬裕

  ワインはアロマやブーケといった香味を楽しむ格好良いお酒とのイメージが一般的ですが、日本酒はどうでしょうか。春耕の同人や会員の大半がそうである50代以上の中高年世代だと、花見酒等の楽しい思い出がある反面、日本酒は甘たるい、悪酔いする、酔うと臭い等のネガティブなイメージを持つ方が多いと思います。
 しかし、今の40代以下の若い世代に同じ質問をしたら全く異なった答えが返ってきます。「米の持つ旨味が口に拡がる」、「キレが良く喉越しが心地好い」、「白ワインみたいに香りがフルーティ」といったポジティブな評価が大半を占めるはずです。
 理由は簡単です。日本酒の質が昔と今では大きく異なっている、言葉を変えると進化しているからです。その話題に入るには、戦後の日本酒の世界を振り返る必要があります。戦後しばらくの日本はお米も含め極端な物資不足の状態にあり、その時代に登場し主流になったのが「三倍増醸酒」と呼ばれる酒です。この酒は、通常の工程で造れる日本酒に対しその二倍もの量の醸造用アルコールを加えて三倍に増量したものです。しかし、これだと日本酒の風味が薄れることから、水飴やブドウ糖等の甘味分やグルタミン酸等の酸味分を加えて人工的に味を調整する必要がありました。これだけ多くの添加物が加われば甘くべたつき悪酔いするのも合点がいきます。それでも、甘味に飢えていた時代であり、日本人は競うように飲んで一日の疲れを癒したものでした。
 その後の我が国は高度経済成長により食生活が豊かになり、アルコール飲料への嗜好も甘いものから辛口や端麗なものへと変化していきました。しかし、大手を中心とする酒造メーカーは消費者の嗜好の変化に正面から向き合わず、添加物の量は減らすものの三倍増醸酒タイプの甘い酒の製造販売を続けていました。その方が利益率が高いという事情があったようです。そして、昭和40年代後半に入ると消費者の嗜好に合わせた端麗な飲み口のウイスキーの水割りや悪酔いしない焼酎等が台頭してきたことは周知のとおりです。その結果として、日本酒の生産量は昭和50年前後をピークに減少に転じました。
 そのような時期に、日本酒の将来に危機感を持つ酒蔵が次々に出現しました。その先駆けの筆頭は何と云っても新潟の「越乃寒梅」です。幻の酒として一世を風靡した憧れの酒です。この流れの牽引役となったのが、塩竃の「浦霞」、諏訪の「真澄」、岩国の「五橋」、大分の「西の関」、熊本の「香露」等です。これらの酒蔵が添加物のない純米酒や吟醸酒を流通ルートに乗せ、地酒ブームが地酒ブームを呼ぶという好循環を実現させました。
 これらこれら地方の酒蔵の地道な努力の甲斐あって、1990年(平成2年)には大吟醸、純米酒等の特定名称酒に関する法律が施行され、品質を担保するための製造方法等が仔細に規定されました。これについては、次回以降に順次説明したいと思います。
地酒買ふ八十八夜の城下町奈良英子