春耕俳句会は、有季定型の俳句と和楽の心で自然と人間の中に新しい美を探求します。第五感・第六感を働かせた俳句作りを心がけます。
連載記事 - 月刊俳句雑誌「春耕」掲載

曾良を尋ねて(128) 2020年4月号

「生類憐みの令」などの数々の庶民を苦しめた五代将軍綱吉の30年にも及ぶ独裁政治が終わり,綱吉が跡継ぎに反対していた綱豊が六代将軍家宣となった。まず手を付けたのが「生類憐みの令」を廃止し「大赦令」を出し多くの犬の虐待にかかわったとされ牢にいた人々や島流しにあっていた赤穂浪士の遺子を解放した。また新井白石を御用学者、間部詮房を側用人に登用し政治を刷新した。1710年諏訪にいた曾良のもとに便りが届いた。それは幕府の巡見使の随員として任命され九州方面へ出発するというものであった。

鑑賞 「現代の俳句」(143)2020年4月号

紙漉の水の重さのはかられず 嶋田麻紀

古典に学ぶ (81)源氏物語2020年4月号

日本最高峰の物語文学『源氏物語』世界を紐解く 『源氏物語』の冒頭は、「桐壺」という巻である。その物語のはじまりを告げることばに、微細 にこだわって読むことが大切なことだと思われる。

はいかい漫遊漫歩(132)(133)2020年4月号

 俳聖芭蕉に〈 門人に其角、(服部)嵐雪あり〉(『桃の実』)と言わせた蕉門十哲の筆頭俳人、其角は大酒飲みだった。“歴史探偵 ”こと半藤一利さんは自著『其角俳句と江戸の春』(平凡社刊)で〈人柄もひとしお変っていた〉と書き、文化13年(1816)刊行の『俳人奇人談』(竹内玄一著)から引く。「其性たるや、放逸にして、人事に拘らず、常に酒を飲んで、其醒たるを見る事なし。ある日ふと詩人の会筵に行合せ、人々苦心しけるを、其角傍に酔臥し、仰ぎ居たり。己れ一秒句を得たりと起きあがりていふ、仰ギ見ル銀河ノ底ト」 〈 七五三という言葉を、私は「ひちごさん」と読む。「しちごさん」とは、まず言わない。私にとって、七は「ひち」であり、「しち」は不快にひびく。〉〈 東京の政府は、「しち」に正統性をあたえている。国語辞典は、「しち」以外の読み方を、みとめない。「ひち」は方言でしかないことを、思い知らされたのである。〉(井上章一著『京都ぎらい』朝日新書)

韓の俳諧(14)2020年4月号

居留民の詠んだ俳句 京都の俳句雑誌『俳諧鴨東新誌』に明治中頃、朝鮮からの投句が多く寄せられている。例えば当時、元山(ウォンサン)には数百人規模の日本人が住んでおり、狭い居留地に住みつつ、それなりの俳句を詠んでいたように思われる。

「俳句文法」入門 (14) 2020年4月号

形容詞とは自立語(単独で一文節を作る)で活用があり、述語となれる語のこと。状態・性質・感情を表す。「し」で言い切る。活用はク活用とシク活用とに区別する。

四季の野鳥 (1) 2020年4月号

泥点々作り始めの燕の巣   棚山波朗 燕は三月頃から姿を見せ、先ず雄が場所を物色する。なるべく人の気があって燕にとっては安全な場所を探す。良さそうな場所に古巣がないときは壁などに泥をつけて巣を新たに作る。

曾良を尋ねて(127) 2020年3月号

長島松平家を断絶に至らしめた松平忠充と曾良の接点はもろもろの資料からほとんどなかったと推測される。しかし忠充の弟の良兼は越後の村上藩榊原家に養嗣子として入っていて、芭蕉とともに奥の細道の旅の途次に墓参をしていることから確かな結びつきはあった。長島藩の改易、松平家断絶は曾良にとっては大きな衝撃であり、これ以降二度と長島を訪れることはなっかた。

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