曾良を尋ねて (117)           乾佐知子
─ 『奥の細道』素龍本についての一考察 ⑴ ─

   元禄7(1694)年『奥の細道』の素龍の墨書を懐に芭蕉が兄半左衛門を尋ねこれを預けたことは以前書いた。細道の旅をしたのは元禄2年のことであるから、あれからすでに4年の歳月を経ている。しかも生前に版本にして刊行されることはなかった。何故か。それは最初からこの旅が単なる個人的な歌枕さがしの旅ではなかったからである。
 幕府筋の曾良が同行しているため、構成には何度も慎重に推敲を重ねていた。問題のある個人名や地名は一部変更し、あえて日時を違えたりして、最終的には句文融合の紀行文としてまとめあげた。
 最初の草稿は越後屋の手代の野坡に手伝わせて、貼紙をつけて推敲し(野坡本)そこに更に訂正書き込みをして書家の素龍に清書を依頼したのである。芭蕉自筆の最終推敲本は曾良に与えられた(曾良本)という。(嵐山光三郎著『芭蕉という修羅』)
 然し芭蕉はこの本をいつか世に出したい、という強い気持ちを持っており、兄の松尾半左衛門に託したのも恐らく苦肉の策であったと思われる。
 ではこの『奥の細道』原本でもある素龍の墨書は現在どこにどのような形で存在するのであろうか。この疑問に答えるべく2月某日に一本のレターメールが私のもとに送られて来たのである。差出人は俳句結社「万象」主宰の内海良太氏であった。10年前に私がこの連載を始める時にお会いしたことがあり、古くから曾良の研究家として適切なアドバイスを頂いている。
 そのスマートレターの内容は、今日の素龍本の存在を詳細に記したものであった。
 現在『奥の細道』素龍本は敦賀市新道野の西村家に秘蔵されており、国の重要無形文化財に指定されているという。
 2000(平成12)年4月21日付の福井県の地方新聞にその詳細な経路が記されていた。筆者は敦賀市在住の俳誌「万象」同人石田信夫氏で、又その「読み下し」版に山本晴幸氏(万象同人)の労作も同封されており、感謝の他ない。
 縦16.7㎝、横14.3㎝の枡形本で表紙の中央には白地に銀の真砂を散らした題簽(せん)に芭蕉の自筆で「おくのほそ道」と記されているという。蟇目氏によれば大分以前のことであるが、春耕の連衆もこの素龍本を尋ねて敦賀の西村家に伺ったことがあるという。しかし国の重要文化財ゆえに手に取る事は出来ず、箱に入った原本を拝見するに留まったとうかがった。
 新聞には要約した内容を記したとあるが、300年余りにわたる経路はかなり複雑で、その間よくぞ無事に残されたものと、延延と引き継がれてきた先人達の大きな功績とご苦労に深く心打たれるものがあった。
 次回は芭蕉が命を削るようにして残された「おくのほそ道」が、いかなる経緯をもって今日に至ったかを詳しく紹介してゆきたい。