「晴耕集」7月号 感想                     柚口満  

釜の底浚ふおかはり豆ごはん池内けい吾
 細見綾子に「豆飯を喰ぶとき親子つながりて」という句があるが彼女は自註で、青いえんどう飯の親和感」といった表現で豆飯への親近感を述べている。
 我々の年齢になっても夏の季節になると一回は食べる豆ごはんにいくばくかの郷愁を感じるのは何故だろうか。莢えんどうの豆をダシと塩味で飯に炊き込んだ素朴なものなのに昔日のひとこまが溢れ出してくるのである。
 掲句も作者の幼いころの光景かもしれない。一家が揃った夕ご飯の豆ごはん、お釜の底を浚ってまで最後の一杯をよそってくれたお母さん。
 豆飯はあのころの贅沢ではないがささやかな庶民のしあわせの象徴だったと思う。

生独活に味噌付け齧るまたぎかな阿部月山子

 山形の鶴岡在住の月山子さん。折に触れて地元の野趣あふれる俳句を発信して我々を楽しませてくれている。
 今回の主役は東北地方の山間に住みながら古い伝統を守る狩人、またぎである。山に入ったまたぎが野生の独活に持参の味噌を付けて齧っている場面である。香気の強い生の独活を齧るのもまたぎの生活の知恵の一部分なのか。印象の強い秀句である。同時に出されている「杣の妻甘酢に漬ける花山葵」もどんな味がするのか興味津津である。

キャンパスに色溢れ出す聖五月児玉真知子

 五月、聖五月いう季語、細長い日本列島にあって春は気候的には不安定な所もあるが、5月は新緑のもと鳥が囀り、人間は山や野に出かけ伸びやかに爽快感を楽しむ月なのだ。
 大学の構内の景色も一変する。不安を伴った新入生たちも生活に余裕が生まれ思い思いの服装もカラフルに変わった。桜や花壇の花々も華やかだ。
 若人たちが闊歩するキャンパスの聖五月を気持ちよき一句に詠みあげている。

しやぼん玉弾けるものと浮くものと実川恵子 

   しゃぼん玉は子供たちに永遠に夢を与えるものである。近頃はその石鹼水や吹く器具の改良などで大量の、そして大きなしゃぼん玉ができるようになったが、楽しい遊戯は子供心を捉えて離さない。
 この句は空中に放出された玉を凝視して、弾けるものと浮くものとがあることに心を奪われた。当たり前の先にあるもの、舞い上がったものの行く末も切ない。
 野口雨情作詞、中山晋平作曲の「しゃぼん玉」が歌い続けられるのも切ない詩情があるからだ。

万の魂眠る伊江島万の百合澤聖紫

 今年も梅雨明けとともに美しい海に魅せられた多くの観光客が沖縄に向かった。掲句にある沖縄本島北部の北西に浮かぶ伊江島もそのひとつである。
 この周囲約22キロの伊江島は先の第二次大戦の激戦地、米軍の攻撃で軍人、村民の多くが犠牲者になつた悲しい歴史を秘めた島でもある。
 毎年4月の中旬から島の公園では多くの百合が咲き誇るが、作者は青い海を背景にした群生の白百合を見るにつけ、あの闘いに散った御霊に頭を垂れたのだ。「地獄見し島にあふるる鉄砲百合」も同時出句作品。

皆うつ伏して競漕のフィニッシュは小野寺清人

 ボートレース、競漕は四季を通じて各地で行われているが俳句では春季の季語として定着している。
 その昔、向島に住んだことがあるが、その頃隅田川で春に行なわれる早慶レガッタがニュースに取り上げられ何回か見物したことがある。そんなことも春の季語に定着した原因かもしれない。
 この句はおそらく競漕の花形、エイトのゴールシーンを活写したものであろう。何キロも漕いできた8人の漕手はゴールとともに全員が腰から上を突っ伏してしばらくは起き上がりことができない。過酷な一場面を冷静に詠んでいる。

桜蕊降る逆上がり出来ぬ子に小池伴緒

 この一句、一読して何か寂しく、あるいは少し可哀そうな感じを持ったのは私だけだろうか。そう思わせたのは逆上がりが出来ない子への哀れみでなく季語の斡旋からくるものだ、と感じ入ったからである。
 この子は桜がまだ硬い蕾のころからその練習を始めたのかもしれない。練習は桜が咲き始め満開となり、散り始めても熱心に続けられている。桜蕊降る、という季語の役割に改めて感心した。

菓子鉢を二羽で彩る鶯餅祢津あきら

 春の到来を告げる鶯餅。富安風生が詠んだ「街の雨鶯餅がもう出たか」にはその喜びが静かに表現されていてこの句を暗唱している人も多い。餡を包んだやわらかな餅に青黄粉をまぶした姿、およそ鶯とはみえない抽象的なすがたに人気がある。
 そんな鶯餅二羽を菓子鉢に並べて早春の息吹を愛でる作者。二羽で彩る、が眼目であろう。