きぎす来る遠出適はぬ吾が庭に川澄祐勝

「晴耕集・雨読集」3月号 感想    柚口満

牛の餌に冬至南瓜を加へたる天野和風

 昔の農家は必ず牛を飼っていたが最近の耕作は機械化が進み,もっぱら飼われているのは乳牛と肉牛である。掲出句にある牛も大量に飼われている牛である。
 その牛たちの餌に冬至南瓜が振る舞われたというのが面白い。人間の世界にも冬至南瓜を食べる風習がある。野菜の不足する時期にビタミンAやカロチンが豊富な南瓜は特に風邪や中風の予防に効くといわれる。沢山の牛にも元気にこの冬を乗り切ってもらおうと餌に加えた冬至南瓜、飼い主の愛情が嬉しい。

福寿草ほころび待てず逝かれけり堀井より子

 前書きに島田ヤスさん逝く、とある一句。春耕同人の島田ヤスさんは昨年11月28日、九十五歳の天寿をまっとうされた。その死を悼んでの作品である。
 もう少したてばヤスさんの好きだった福寿草が咲きだすのに、と残念な思いを吐露する作者、そこには大勢の家族の和を尊んだ個人への思慕の念が溢れる。
 そうそう、故人の句集名は『福寿草』であった。もちろん掲出句はその句集名を踏まえての作句である。「夫在りし日をつくづくと福寿草」と詠んだヤスさん、今頃はご主人と彼の地で再会を果たされたことだろう。

冬立つや波たたみ来る九十九里小野誠一

 九十九里浜は千葉県の東海岸、刑部岬から太東崎までの太平洋に面した全長六十六キロメートルの海岸のことである。この美しい弧を描く海岸線は日本の白砂青松百選や日本の渚百選にも選ばれていて、そのスケールの大きさは空からみると一目瞭然である。
 この句はその九十九里浜を前面に押しだした立冬の一句。冬を迎えた荒波が畳みかけるように太平洋の彼方から押し寄せる。その海の青と白の波の波状の模様は息を呑むような感動的なものであったに違いない。この句、なんといってもその固有名詞が動かない。

猪鍋や裏戸を叩く迷ひ風唐沢静男

 作者は熱海市の郊外に住み、海に出ては魚を釣り山にあっては畑を耕して悠々自適の生活を送っているが、猪の仕業で自分の畑を荒らされることもあるという。そして猪駆除の猟師からその肉のお裾分けにも預かるときいた。
 この猪鍋の肉もそれかもしれない、などと想像しているがこの句の眼目は下五の「迷ひ風」である。この風、強風ではない。さりとて穏やかな風でもない。味噌仕立ての猪鍋が煮立つなか、遠慮がちな風が裏戸を時々叩く。ここには冬の夜の静かな時が流れている。

炉明りや民話の締めのどんどはれ安原敬裕

 「どんど晴れ」というNHKの連続テレビ小説が平成19年に放送されたことはご存じの方が多いと思うが、そのときこのタイトルがどういう意味なのかと話題になった。
 本来の「どんどはれ」は岩手県遠野地方で使われるもので昔話や民話の話の終わりに言う言葉で「おしまい」とか「めでたしめでたし」にあたる言葉だそうだ。
 作者も当地で語り部から民話を聞かれたのであろう。そしてこの特異な言葉に触発されてこの一句をつくった。炉辺で聞いたオシラサマや雪女の伝説の世界に酔いしれ「どんとはれ」の言葉で我に返った、ということだろう。

団欒の真ん中にありみかん籠山﨑赤秋

 核家族化が進んできた現代というより、もう少し前の日本の大家族時代の様子が垣間見られるような俳句だと思った。まず団欒という言葉がもう過去の懐かしい響きをもっていることに気が付く。そして卓袱台の真ん中のみかん籠もこれまた古き良き時代の象徴的な絵柄である。一家揃って、たとえば祖父母がいて両親がいて子供たちと一緒に蜜柑を頬張りながらの楽しい風景が目に浮かぶ。
 古きよき昭和の時代を思い出させてくれた一句である。

孟宗の節々白む初明かり梅澤忍

 新年の季語「初明り」、元日の朝に初めて差してくるお日様の光りをいう。初日や初日の出は元旦の朝日そのもを指すので若干意を異にする。
 さて、そのおめでたい光をどこに感じるかは人それぞれであるが、掲出句は孟宗の白い節に差す光りに有難さを感じている。整然と並ぶ孟宗竹、その全ての白い節々にうっすらと差す初明り、それに身を正す作者の姿勢が目に浮かぶ。

目印の笹枯れしまま罠しづか小野寺清人

 ここに詠まれている罠はなんであろうか。山の中に仕込まれた兎や鳥などの鳥獣をおびきよせるための装置であろう。その装置を見失わないために目印の青い笹を挿しておいたのだ。しかし、数日を経て罠を調べに行ったところ、罠には獲物はかかっておらず印の笹もすっかり乾涸びていたという。この句が俳句としていいのは目印の笹の存在を提示したこと、罠をかけたことがない人にはそれが実に新鮮に映る。いろんな引き出しを持っている人の強みである。罠の静寂が印象的。

源平の池に二つの鴨の陣我部敬子

 源平の池というのは全国に何箇所かあるのかもしれないが、私は鎌倉の鶴岡八幡宮の源平池を想像している。先年訪れた時には美しいカワセミに遭遇して感激した思い出がある。
 赤い太鼓橋が源氏池と平家池を分けているのであるが、この句の眼目はそれを見越して左右に分かれる鴨の群れを平家と源氏の両陣営と見立てた点である。その陣には白い旗、赤い旗こそ見られなかったが、その想像が愉快である。

ひねりつつ風船売が子犬生む小関忠彦

 公園や祭の屋台などに風船売りはいる。色とりどりのゴム風船に水素ガスを入れて空中に浮かべて客を待つ。その一方、この句のように細長い風船に空気を入れてキュッキュッと鳴らしながら器用に動物などをつくる人もいる。
 この句は後者の方を詠んでいる。一本の細い風船がまるで魔法の手にかかったように、あっという間に子犬に変身した。子供ならずとも大人がみていても楽しい光景だ。

母の声聞こえてきさう年用意布谷洋子

 はるか昔にこういう場面にでくわした思い出がある。年の暮れの働き手はほとんどが女性であり、どちらかというと男のほうは邪魔者扱いされどこかへ行ってきて、とまで言われたものだ。祖母と母が蔵に入って何やかやと正月の食器などを探している声まで耳に残る。この作者は年用意に当たりさまざまなことを教えてくれた母上を懐かしく思い出している。

大仏の腕に抱かれて煤払ひ渡辺信子

 この句も年末の大掃除、煤払いを詠んでいる。家事ではなく大きなお寺の。しかも大仏様の煤払いとスケールがはなはだ大きい。
 仏さまの御手に畏れ多くも乗っての大掃除、下から見上げたものにとっては、それはあたかも御仏の腕に抱かれているようにみえたという。ありがたい御奉仕である。