「晴耕集・雨読集」5月号 感想  柚口満

 漬菜石一つ外され二月果つ 山城やえ

 日常の生活から生まれた一句である。作者のお住まいの佐渡はこの冬は大寒波の襲来で大雪が降り、低温のため水道もしばらく使えなかったと聞く。
 そんななかでも季節は移りやっと春の訪れを実感として捉えたのがこの句。菜を漬けた漬物石がひとつ外され漬菜の水揚げが一段落したのだ。春が来た喜びはこんな些細なたつきの一部分にもあらわれる。

陽春の日を真面にだるま市 児玉真知子   

 この句も春の到来を喜んでいる。都市部であれ山間部であれ、厳寒を経たあとの春の明るい光は誰しもが待ち望んだものである。
 神社かお寺の境内で開かれている達磨市。無数の赤い達磨のすべてにさんさんと降り注ぐ陽春の日。市を物色する善男善女の顔はうっすらと朱に染まる。

一舟は綺羅の一つへ春の海 武田禪次

 一舟はいっしゅうと読みたい。春の海といえば蕪村の「春の海終日のたりのたりかな」であるがこの句はその情景に一つの小舟と波の綺羅を描いて美しい句に仕立て上げた。
 凪いだ波の綺羅に漂っていた舟がいつしか溶け込んでしまったと詠む。瀬戸内海を望む丘でオリーブの栽培を手掛けている作者、その作業の間に嘱目した光景だったかもしれない。
開け閉てに馴らす戸車春遅々と 唐沢静男
 俳句という短い文芸は一つ一つの言葉が重要であることはいうまでもない。この句も中七が例えば「馴らす雨戸の」だとしたらあまり心に留らない。「戸車」になって古い家の戸が俄然眼前に想起されるのだ。
 朝晩の習慣の雨戸の開け閉て、古い戸車の調子に合わせてその滑りに腐心する。春遅々という季語が的確で動かない。 
梅真白鮫にまたがり兜太逝く 安原敬裕
 俳人で戦後一貫として現代俳句を牽引してきた金子兜太さんが今年の2月20日に亡くなった。98歳であった。掲出句はその逝去を悼んでの一句。
 読んでみてこの句は兜太さんの代表句「梅咲いて庭中に青鮫が来ている」を下敷きにしていることが判る。これが付きすぎ、との評もあろうが梅の満開の時期に大きな鮫の背中に跨って逝かれる図は兜太らしいと思った。カリスマ的な巨匠の死の余韻が今も続く。
風の裾ほぐして四方へ糸柳 浅野文男
 春の代表的な樹木の一つに柳がある。中でも枝垂柳、糸柳は俳句によく詠まれる。この句は糸柳に吹く風の関わり合いが面白く描写されている。
 吹いてきた風はしばらく糸柳の上から下へと戯れていたが、その裾で風を解して四方へと消えたという。しなやかな柳とやさしい風の触れあいが、上五から中七にかけての表現によく出ている。
初蝶やあるか無きかの影連れて 石田瑞子
 初蝶の姿を見る楽しさを覚えるようになったのはいつ頃からだろう。多分俳句を始めた40年前だ。俳句の恩恵に感謝する。
 作者の見た初蝶は紋白蝶、あるいは黄蝶だっかもしれない。その蝶をあるか無きかの影を連れていたと詠む。初々しくはかないものを見た喜び。
生き様を幹のうねりに梅真白 柿谷妙子
 生き様が見えるというのだから、この梅の木は相当な古木であろう。枝や幹が地を這うような臥龍梅のたぐいかもしれない。
 風雪を耐え抜きその生き様をさらすこの梅が真っ白な花を今年も見事に咲かせた。古くは桜より梅が愛でられたのも、その清楚な気品と古武士のような貫録のゆえかとも思う。
剪定は富士へはみ出す一枝より 小島正
 伸びた枝や枯れた枝を取り除き日当たりや風通しをよくするのが剪定である。隣近所から鋏の音が聞こえてくると春の来たことを実感する。
 作者の庭からは富士山が見えるのであろう。剪定をまずその秀峰を隠す枝からはじめたというのがこの句の着眼点。枝を整えた我が庭の富士山の絶景。
白魚汁靄うすれゆく竹生島 中道千代江
 竹生島を望む北琵琶湖辺りで作られた一句である。白魚(しらうお)は春を告げる早春が旬とされ、仲春、晩春の産卵後ではぐんと味が落ちるとされる。
 湖北の宿の食膳にあがった白魚汁。朱塗りのお椀に細身の白が映え味は淡くとも優雅である。靄が解けて竹生島が現れた。上々の旅吟の一句。