「晴耕集・雨読集」2月号 感想      柚口満

はなしかけたくなるやうな案山子かな堀井より子 

 稲穂が実る田園を見渡しても最近では案山子を見かけることも少なくなった。それだけに旅の途中で出くわす案山子には、いいようのない郷愁と愛着心を掻き立てられる。 
   この作者も、面白い出で立ちの案山子に遭遇して、ついつい話しかけたくなったという。微笑ましい風景である。子供の頃にうたった「一本足の案山子」の一節に「天気のよいのに蓑笠つけて朝から晩までただ立ち通し歩けないのか山田の案山子」があった。

煌煌と燠となるまで牡丹焚く吉田初江

 作者はいわきの方であるから、この牡丹を焚く光景は福島県の須賀川牡丹園の牡丹供養を題材にして作句されたものであろう。 
 命の尽きた牡丹の古木を焚いて供養するのであるが、かすかな香りの中で青く燃え上がるその焔は牡丹の精を思わせ極めて幻想的である。そしてその古木の根榾は掲句にあるように真っ赤なきらびやかな燠となり命を終えたと詠む。ちなみにこの牡丹焚くの季語はこの園を訪れた原石鼎が初めて用いたという。

今朝の飯うまし勤労感謝の日奈良英子 

 11月23日は国民の祝日、勤労感謝の日である。この日の趣旨は「勤労をたっとび、生産を祝い、国民が互いに感謝しあう」とある。またこの日は新嘗祭が宮中で行われ天皇が今年の初穂を神に奉られ、新穀を食される。 
 さて、この句は季語に勤労感謝の日をもってきた俳句である。17文字と制限される俳句において季語に9文字をとられ、残った8文字に何を詠むかはなかなか難義なことである。ところが作者は「今朝の飯うまし」と何の外連味もなくずばり読み切り佳句に仕上げた。米は人間の命の綱、働く力の根源である。

初猟の火薬の匂ふ銃戻る松川洋酔 

 狩猟の解禁期間は地方により若干の違いがあるが、11月の15日から翌年の2月15日とされる。この句にある初猟の日には、待ちかねた狩人たちが手ぐすねをひいて夜明けを待つ。 
 掲句は初猟を終えた狩猟宿での一こまであろうか。火薬の匂う銃が戻ってきたとリアルに描写して臨場感が出た。猟師の様子でなく火薬の匂いという嗅覚を配して初猟の昂ぶりを上手く表現した。

約束をしたかに庭に小鳥来る飯牟礼恵美子 

 秋の季語に「小鳥来る」がある。夏は山地で囀っていた小鳥たちは秋になると里の民家の庭に姿を現し、その姿、鳴き声に我々は親しみを感じる。 
 この作者は「約束をしたかに」と詠みだして、小鳥の来るのを待ちこがれていたと述べ、そしてその通り来たことに喜びを静かに独り占めした。富安風生は「小鳥来て午後の紅茶のほしきころ」と小鳥に親近感を抱く一句を残している。

綿虫の風の隙間を漂へり宇山利子 

 中七から下五にかけての「風の隙間を漂へり」の捉え方が秀逸である。 
 初冬の薄曇りの空気の中をどこからともなく湧き出してきて儚げに浮遊する綿虫は俳人好みの季語であるが、その生態を的確に看破することはいたって難しい。しかしこの句は前述したそのフレーズに綿虫の浮遊を見事に表した。綿虫が最も好む安住の空間こそ風の隙間だったのだ。

雑踏の奥が華やぐ酉の市佐藤利明
裸灯の揺れてかがやく大熊手望月澄子 

 掲げた2つの句は酉の市を季語とした句であるがその遠景と近景を読んでいるところに特徴がある。 
 佐藤さんの句は雑踏の先にあるくっきりと浮かび上がるまばゆいばかりの酉の市が印象的だ。一方の望月さんの句は市の大熊手にズームインして裸灯の暖色に揺れる金銀が豪華絢爛だ。両句とも景色の切り取り方が上手だな、と感じ入った。

竹林へ霰の音の移りけり伯井茂 

 この句の作者は家の中にいて外で降る霰の音を耳聡く聞いている。霰は普通、雪霰を指し白色で不透明な硬い粒状のものであり当たる対象物により様々な音をたてる。畑に打つ鈍い音、トタン屋根を打つ騒がしい音、地面を打つ低い音等々。その霰は裏の竹林に及び一味違う風情のある音色となったらしい。

新しき添水ひねもす甲高し山田高司 

 この句も音に注目した一句。谷から引いた水などを竹筒に注ぎこませ溜まった水の反動で音を出させる添水、鹿威しとも呼ばれる。作り立ての添水は1日中甲高い音を立て続けたとの表現が眼目。新品の添水の張り切り具合が頼もしい。