「晴耕集・雨読集」 2月号 感想          柚口  

散薬の胸へこぼるる一葉忌升本榮子
 小説、「にごりえ」「大つごもり」「たけくらべ」で知られる樋口一葉は明治29年11月23日、24歳の若さでこの世を去った。わずか2年の間に次々著したこれらの作品は「天才が奇跡を残した2年間」と称えられた。
 さてこの一葉を偲んで作られた一句、上五の「散薬」が効いている。散薬、つまり粉ぐすりのことである。晩年、一葉は肺結核を病み当時は今と違って粉薬に頼る日々であったことが想像できる。句の作者は、自分の胸にこぼれる散薬を眺め、ひととき在りし日の一葉に心を通わせたのである。

喜びも哀しみも抱き日記果つ乾佐知子

 日記果つという季語、1年間書き留めてきた日記が終わることをいう。思い返せば令和2年は新コロナウィルスに翻弄された年だった。中国・武漢から始まったこのまがまがしい厄災はすべての計画を頓挫させ、春耕の行事は全て中止を余儀なくされた。それのみか人と人との付き合いをも無情にも遮断された。
 この句の作者はそれでも喜びもあり、そして哀しみをも受け入れて今年の日記を閉じたという。苦しい中でのささやかな喜びが印象的だったのかもしれない。
 高橋悦男の句に「来る年の夢書き入れて日記果つ」があるが令和3年はコロナ禍がワクチンの効果、あるいは有効な新薬の登場で収束に向かう年となるよう切に願うばかりである。

しぐるるやしばし鳥獣戯画の寺武田禪次

 鳥獣戯画の寺とは京都の栂尾山高山寺のことである。作者の武田氏とはもう10年位前に仲間共々この寺を吟行したことがある。言わずと知れた鳥獣人物戯画と日本最古の茶園が有名であるが、国宝・杮葺きの入母屋造りの石水院の縁側からみる周囲の景色を楽しんでもらいたい。
 掲句、作者は時雨の季節に当寺を再訪されたのであろう。縁側から見る本家本元、京都の時雨。おちこちの山々は雨の濃淡に絶妙な変化を見せ、しばしその光景に身をゆだねたのであろう。
 しばし、はまた時雨の模様をも示唆しているようで、その使い方にも感心した。

牡蠣むき女二尺四方の陣に座し池野よしえ

 牡蠣は冬の季語であるが食べられるのは9月から翌年の4月までと言われる。英語の月名でRの入った月とされる。
 この句はその牡蠣を割る、あるいは剥く現場で作られた嘱目吟、作業に従事するのに女性が多いことから俳句では牡蠣剥女、牡蠣割女の季語が多くみられる。中七から下五にかけての「二尺四方の陣に座し」の捉え方がその作業の過酷さを的確に表した。二尺四方という狭い陣はいわば競争の場、牡蠣殻に囲まれての作業は極寒の中で続けられる。

濃く長く影を伸ばして秋深む小林博

 晩秋の一句。秋深し、という季語は人々に寂しさを喚起させ、物思いに導き、そして喪失感をも抱かせることになる。
 掲句、濃く長い影という措辞が効いている。晩秋の快晴の1日が終わろうとする時、万物の影はくっきりと濃くそして長々と伸びてきたという。作者は2月号で「秋気澄み湖に濃くなる山の影」など粒ぞろいの秋の賛歌句を出句している。

雪蛍鐘の余韻を漂ひ来𠮷村征子

 晩秋から初冬にかけての風のない曇り空をどこからか湧き出て来るのが綿虫、雪蛍である。
 その雪蛍がお寺から流れ来る鐘の余韻に乗って、漂って来た、と詠んだのがこの一句。儚いものの象徴ともされるこのいたって小さい動物と鐘の余韻を取り合わせたのがお手柄である。余韻が微妙に尾を引いて消え行く中を、それを追うように消えてゆく雪蛍。風情のある一句である。

捨てきれぬものに囲まれ小晦日大原久子 

   このこの句、季語が大晦日でなく小晦日であったのが生きたのではないか。 数え日もとうとう小晦日まできてしまい、師走の片づけも大方整理がついたと思ったが、何のことはない。見渡せばこの日になっても捨てきれぬものに囲まれているではないか。溜息がでる一瞬である。
 これが大晦日になると当たり前で、1日前の諦め振りが面白い。晩稲刈り田に里山の影伸ばす福田初枝 ご存じのように稲作には早稲、中稲、晩稲がある。日常食べている米のほとんどは中稲である。
 日短か、の晩稲刈りには、晩秋の趣も加わり何か寂しく心急かされる雰囲気が漂う。
 この一句も、作業を追い立てるように田んぼに里山の影が伸びてきた、と詠む。そこには長い長い稲作が完了するという心境も垣間見える。