「晴耕集・雨読集」 10月号 感想          柚口  

沓脱ぎに靴を揃ふる帰省の子朝妻力

 昨今のコロナ禍のため夏休みの帰省事情は大きく変化した。遠く離れた地に住まう父母に孫の顔を見せに帰郷を計画してもできない歯がゆさに切歯扼腕の思いの方も多いことだろう。
 掲句はこんな世相にあっても困難を乗り越えた帰省風景のひとこまを詠んだもの。この子供はやはりお孫さんであろう。玄関に入り、靴脱ぎでその孫が誰に言われるでもなく靴を揃えたという。この場面をみた作者は孫のちょっと見ぬ間の成長に甚く感激している。こうしたことはテレビ電話という文明の力があっても伝わらないということである。

雁渡し基地に飛ばざる零戦機畑中とほる

 この稿を書いているのは12月初旬。太平洋戦争の端緒となった真珠湾攻撃の模様を伝えるテレビ番組が数多く放送され、零式艦上戦闘機であるいわゆるゼロ戦の模様が映し出されていた。奇襲に成功した先の大戦のスタートであったが、そののちのゼロ戦の悲劇はまことに痛ましい結末であった。
 この句は基地に展示されている残された零戦であろう。もちろんもう動かない。作者は雁が渡る頃に吹く風に、還るあてもなく散っていった若者のことを偲んでいる。雁渡しの季語が活きている。

ぞんぶんに使ふ火と水盆仕度倉林美保

 盆の仕度を上五、中七でずばりと本質を言い当てたことで、この句は引き立った。
 言われてみれば、お盆を迎えると火と水を普段の生活と比して大いに使うことに気づく。火は帰省の人達にふるまう料理作りに、水は大掃除に使うことがまず考えられる。
 お盆は日本に残る独特な風習だ。このコロナ禍で帰省もままならないが、本来ならば東京は空っぽになり、人々は東西南北の故郷を目指す。その人たちを饗応する火と水のことを改めて思い返した。

秋暑し薬で詰まる小引出し岡村實

  最近すこし病気がちとなり服用する薬が増えたので、掲句のようなものに接すると大いに同感する思いが強まる。服用する薬について思うこと。薬の種類が多くなると処方の袋が大量に溜まる、薬の数がいつの間にか合わなくなる。規則的に飲んだか少々危うくなる、最近は錠剤んが主流だから間違えやすい等々、気が重い。季語が語るように猛暑が過ぎても、秋も暑かった。

箱開けて四角西瓜にまごつきぬ酒井多加子

 みなさんは、ここ数年夏になると四角いすいかが市場に出回っていることにお気づきだろうか。文字通りサイコロのような一辺20センチぐらいの代物だ。この句の作者は贈り物の箱を開けてびっくり、縞模様は本物の西瓜でもそれが真四角なのに驚いた、というのだ。
 この西瓜、香川県の善通寺市が特産地らしい。一定の大きさになった普通の西瓜を四角いプラスティックの容器に収めて形を整えるという段取りだが驚くことにこの西瓜、甘みが少なくもっぱら観賞用とのこと、1年間はもつというのだが、贈られた方のまごつき具合も相当のものがあっただろう。

投げやりの一節もあり法師蝉浅野文男

 この句の眼目は法師蝉の鳴き方を観察して生まれた上五から中七にかけての「なげやりの一節もあり」の、特に「投げやり」であろう。
 有り体に鳴き声を再現すればジーーのあとツクツクホーシを十数回繰り返しながら段々と間合いを詰めて最後にジーーで収めるのが普通だが、この句はどこかの一節で端折ったり、最後に舌打ちのような、それこそ投げやりな間合いで呼び去ったという。蝉の句はどこかで思い切った把握と発想がないと類想に落ち入る。

熱風を掻き回しゐる扇風機小林休魚

 真夏の暑さ対策に重宝された扇風機。ある時はその首を振り、涼風を提供する機械に、大きな感動を覚えた人も多かったと思う。しかし、エアコンの登場でその立場は一変、掲句にあるようにただ熱風を掻きまわすだけの代物に。技術の進歩の皮肉さを詠んだ一句。

母の忌や墓に零れし女郎花祢津あきら

 墓参りに大きな墓地に行くとついつい供花に眼が行くことがある。多くは菊などの花が多いのであるが、たまに珍しい花が目に留まり亡き人の人柄を思うことがある。作者の母上は生前女郎花を好まれていたのだろうか。零れるその花に忌を修された。

故郷の水蓄へし梨届く丸山はるお

私の住んでいる周辺は梨の産地である。作者も梨の産地の出身なのだろう。毎年初秋に届くその梨は故郷の水をたっぷり蓄えた逸品だと自慢する。梨には幸水、豊水等水が名前に付くものがある。冷やした梨の果汁の甘さとあのシャリシャリ感は病みつきになる。