「晴耕集・雨読集」10月号 感想          柚口満 

舌頭に千転の末老鶯に伊藤伊那男

 ご存じのように「句調はずんば舌頭に千転せよ」は芭蕉が残した言葉で去来が『去来抄』に書き残したものである。その意味は、句が出来てもすぐに出すのではなくリズムが悪ければ何回も口に出して整えましょう、であろう。
 この一節を念頭に作られたのが掲句である。鶯は冬の笹鳴に始まり春の鶯の谷渡り、そして夏の老鶯へとその鳴き声に磨きをかける。作者は老鶯の声を聴くにつけ先述した芭蕉の言葉を思い出し何度も何度も声を作り上げてきた鶯に思いを馳せたのであろう。

虫干や若き日の文なつかしく山田春生

 今年の8月27日、山田春生さんが突然逝去された。直前まで春耕誌への原稿を書かれていたと聞きびっくりした。
 この句は春耕10月号の晴耕集からの一句。新聞記者として活躍された氏が晩年になり虫干しをされていた時に偶然に若いときに受け取った手紙に遭遇された。今となっては誰からの文か、内容は、と詮索しても所詮しょうがないこと。ここ1、2年は奥様の句を詠まれる事が多くなった氏であるが、あるいは奥様の若い時の手紙かとも勝手に想像をしてみた。
 山田さんは仕事柄からか、とにかく仕事が早かった。句集も沢山出され、評論や歳時記も出版された。長寿をあっという間に駆け抜け、あっという間に潔く彼岸に旅立たれた。ご冥福をお祈りします。

子離れのあと水虫を育てをり杉阪大和

 参加している某句会の兼題が水虫であった。俳句という文芸、いつも詩情、忬情を求めるに適した兼題が出るわけでもない。この句のように水虫で一句という要求も当然出てくる。そこで問われるのが本当の力量というもの。
 その点、この作者のもつ作句への幅の広さが良く出ているのが掲句。出だしから子離れのあと、と突然切り出し何だ?と思わせて水虫を育てをり、ときた。子供たちを育て上げたあとの自分であるが、長年の水虫との共存は続いているというのだ。同時に出されている「先づ手足より眠りたる昼寝の児」など対象追及の眼にいつも注目している。

雷去りてふと肩凝りをおぼえけり窪田明

 句の作者の窪田さんは群馬の太田にお住まいだから夏の季節、雷に出くわす機会が比較的多いと思われるがその体験からこの句のような面白い句が生まれたのかとも思った。
 この一句、肩凝りをおぼえけり、の感覚を得たことが佳句につながったことは間違いない。長く居座っていた雷がやっと去ったとき、自分の肩が随分と凝ってしまったことに気がついた。それだけ緊張が長く続いたということだろう。
 誰もが感じない新鮮な体験が一句に入ってくると俄然句が引き立つという見本である。

草むしり居間の電話の鳴つてをり望月澄子

 草取り、草むしりは夏の季語、この句は自宅の庭にはびこった雑草の旺盛な生命力に悪戦苦闘しながら草をむしっている図である。
 この句の面白いのは上五の季語から中七、下五への急な場面の展開である。作業中に居間の電話が鳴りだした。さあ、どうしょうか。ぶっきらぼうともいえる表現には句を読む人への問いかけが含まれていることに気が付くのだ。あなたならどうする。急いで作業を中断して電話に向かう。それとも草取りを続行するか。客観写生が俳句を膨らませるという好例ではないか。

夕さりの水打つ慣ひ路地住まひ岡島清美

 最近は水を打つ光景を見るのも少なくなった。しかし、下町辺りではこの句のように夕方になると示し合わせたようにお互いに水を打ちあう習慣が続いている。暑かった今日一日を労わりあい、少し世間話を交わしながら家族の帰りを待つほっとした時間なのである。自分の身の回りをみても夕方に水を打つのは飲食店ぐらいで世の中の余裕のなさというか、世知辛さに辟易とする。水を打った玄関から夕餉の匂いがするのは気が安らむものだ。

猫一匹駅長一人立葵佐藤昭二

 漢字だけで纏めた句といえば棚山波朗前主宰の「酒五石豆腐万丁黒川能」が即座に出てくるが、掲句も珍しく漢字だけで詠んだ一句である。ローカル線の鄙びた駅の風景か。駅長と猫だけで守る駅には立葵が丈を伸ばし花も登り咲く。駅長の人柄みたいなものも感じられる一句。このように漢字だけで句を作るのは難しい。一語一語の漢字が持つ意味の吟味がものをいう。

描き終へて画家の持ち去る夏の景渡辺信子

 一読して不思議な雰囲気が流れる一句である。直接の句の意味は、終日夏の景色に挑んでいた画家が描き終えてカンバスを持ち帰りました、ということだろう。でも私にはそれプラス、画家が夏の景色を描ききって夏の季節までをも持ち去ったとも受け取ったのだがどうであろう。中七、下五の描写に魅力を感じた。