「晴耕集・雨読集」 12月号 感想          柚口  

満月の中に動かぬ村一つ山城やえ

 満月の夜の一風景を面白い視点、雰囲気で詠んだ一句である。佐渡のなかの在所の村であろうか。煌煌と照らす満月がまるでこの世のなかのこの村だけを明るくあぶり出しているような錯覚を覚える捉え方なのである。
 深夜の眠りについた村、住む人も減っているのであろうか。しかし満月は万遍に隅々を照らす。心に染み入る景色である。

北上川のぞむ高館秋の声堀井より子

 俳人・松尾芭蕉が奥の細道で訪れた平泉の高館は北上川に面した丘陵にある。この辺は奥州藤原氏初代の清衡公の時代からの要塞地であった。
 源頼朝に追われた義経は藤原三代の秀衡の庇護のもとここ高館に居を構えるが最後は泰衡の追手にかかり自害で非業の死を遂げる。作者は高館に立ち義経の悲劇を思いながら悠久に変わらぬ北上川と束稲山からの秋の声を聴き留めたのである。
 余談であるが始まったばかりの今年のNHKの大河ドラマでも頼朝、義経の相克が話題となるだろう。

菊人形静の舞の袖匂ふ乾佐知子

 明治時代には本郷駒込の団子坂の菊人形が大変人気があったといわれているが最近は全国的に各地で開催されている。しかし往時の賑わいはないようだ。
 さて掲句は静御前の舞姿の菊人形を詠んだもの、眼目はその舞の着物の袖口が匂ったと感受したところ。そこには人形を作った菊師の計らいがあり、香りが高い菊が配置されていたのかもしれない。菊師はその主人公の心を思いながら人形を作ると聞いた。

野地蔵のぬくもりに来し秋の蝶小野誠一

 秋の蝶には秋の蝶の風情、趣がある。夏の蝶は飛翔に力があり翅の華麗さが特徴であるが秋の蝶は小振りなものが多く、来るべく冬に向けての姿に、特に俳人は心を寄せる。
 この句、野に立つ古いお地蔵さまが印象的だ。晩秋の弱い日を浴びる地蔵の僅かなぬくもりを求めて飛んできた秋蝶、名残を惜しむかに長く留まっていた。

新涼や定まりてゆくものの影沖山志朴

   俳句をやっていて時々戸惑う季語がある。「涼し」というのは夏の季語で「新涼」となると初秋の季語となる。注意をしたいものだ。
 さて、取り上げたこの句は新涼という感覚的な季語に中七から下五にかけて「定まりてゆくものの影」と応えて印象的な一句に仕上げている。写生への凝視の眼が生んだ結果が類想のない佳句につながったということだ。暑さが去り涼しさを覚えると万物の影が定まってきたという透明感が素晴らしい。

平飼ひの卵を落とす早稲の飯中川晴美

 食べ物の俳句を作るコツは、一にも二にもその対象となるものが如何に美味しさを詠む人に喚起させるかにかかってくる。
 そういう観点から見てくると、この卵かけご飯はすぐに食べたい食欲をそそられる。その秘密は「平飼ひ」と「早稲」という具体的な言葉が功を奏しているからだ。雁首を窮屈に並べた鶏舎の鶏より地面を自由に走り回る鶏の卵の充実さ、そしてあつあつの早稲のご飯、おかずなしでも掻っ込んでみたい。

蜩や明日へ鎌研ぐわがたつき鈴木志美恵

   俳句作りにおいて季語のしめる位置は絶対的なものであることには違いはない。この句は「蜩」という季語を最大限に生かした句といっていいだろう。
 稲刈りの作業を終えた人を癒すように鳴く蜩、そして明日に備えてまた鎌を研ぐこの句の作者、自然の中での生活に感謝しつつ明日もまた朝鳴く蜩に活力をもらうのだろう。

刺すは敏退くは鈍なる蚊の名残上野直江

 秋の蚊の生態をリズムよく詠んで共感を覚える一句である。
 名残の蚊といっても侮ってはいけない。秋口の蚊は思いのほかに獰猛でその刺す力に驚かされる。しかしたっぷりと血を吸って重くなった身は鈍となり結局は打たれしまったのか。「残る蚊」「蚊の名残」の哀れさを読み取った一句。

出るは出るは父御の逸話初盆会原田みる

 初盆会、お父上が亡くなって初めて迎える新盆での出来事を一句にされた。お盆の供養の終わったあと、親類縁者、兄弟、姉妹の集まった席で今は亡き父の内輪だけが知るエピソードの数々に花が咲き心温まる供養になった。
 出だしの「出るは出るは」の破調が効果的で、父御の暖かい人柄が偲ばれる一句となっている。