「雨読集」9月号 感想                        児玉真知子  

月見草群れて海抜ゼロ地帯市川春枝

 明治時代以降、東京の東部地帯では近代化に伴う地下水のくみ上げによって地盤沈下が進行し、水害のリスクが高い。戦後市街地の過密化が進行した結果、海抜ゼロメートルの広域な市街地が形成された。海岸付近で地表標高が満潮時平均海水面よりも低い土地のことをゼロメートル地帯と呼ぶ。
 
夏、この辺りの河原や海辺の荒地に黄色い四弁の月見草が群れ咲いている光景、場所と月見草の取り合わせが新鮮である。

夕闇に片白草の仄明り岡村美恵子

 日が落ちて月がのぼるまでの夕方の時を、片白草の特徴を的確に捉えて、詩情溢れる句に仕上げている。水辺に白い根茎を伸ばし群生する片白草は、七月初旬の半夏生の頃、小さな花が咲き茎の上部の葉の表面が白くなり、花びらのように見える特徴から名の由来がある。白くなった葉は虫を誘引する役割もある

蛍見やいつしか病忘れをり笠松秀樹

  夏の宵、水辺を明滅しながら闇を煌めき飛び交う蛍の光は幻想的である。蛍の美しさを鑑賞しながら川沿いを歩いている情景を想起させる。自然の中で過ごす貴重な時間を楽しみ、病を忘れている自分に気付く、この一瞬の感動を捉えている。因みに源氏蛍は清流で見られる大きな蛍、やや小さな平家蛍は池や沼などに見られる。

明やすの小鳥の声の疎ましき小島利子

  夏は夜が短く、暑さで寝苦しいので、明け方が早い。もう四時頃から白々と明るくなってくる。早くも小鳥の声が辺り構わず耳に入ってきて姦しく眠らせてくれない。いつもの鳥でしょうか。寝不足気味の身には辛い日もある。「疎ましき」の感情表現に鳥たちへの親しみがこもっている。

序曲めく遠雷しかと近づきぬ三瓶三智子

  「序曲めく」の措辞をまず据えて、これから始まろうとする遠雷を予感させ、確実に遠雷だという雰囲気が想像できる。省略の効いた表現であり、過不足のない句である。

うろおぼえの所作にてくぐる茅の輪かな村山千恵

 旧暦六月晦日に行う祓の行事として神社の境内に大きな茅の輪が作られ、その輪を潜れば半年間の罪と穢れが洗い流され夏越の祓といわれている。飛鳥時代から宮中の行事として始まっていまに伝わっている。
 
掲句は、茅の輪くぐりの所作が確実に思い出せない心境を繊細な言葉で詠んで好感がもてる。最近、茅の輪の横に作法が書いてあるので見ながらくぐっている方もいる。

この頃の老鶯声を端折りけり山田高司

 繁殖のために高原や山岳地帯では、夏になっても力強い声で鳴き続けている。この句の眼目は、老鶯の谷渡りといわれる「ケキョケキョケキョ」という長く続ける声を「端折りけり」と独特な表現が印象的である。晩夏になり繁殖期を過ぎた鶯は鳴かなくなる。

涼しさや筆に染みゆく墨の色鶴田武子

 夏の暑さの中にあって、爽快な涼気が窓から入ってくる。丹念に墨を磨って、墨の香にしみじみとした安らぎを覚える。そして硯の海に筆を浸して滲んでいく墨の色からも、涼しさが伝わってくるような気がする。作者の充実した日常の一齣である。

藻の花や水底走る魚の影松井春雄

 藻の花は、湖や沼、小川などの水底に生え、水中に房のように繁茂するが、夏になると水面に緑黄色や白い小さな花をつける。よく見ると花の周辺の隙間から水底を走る小魚の一瞬の影に焦点を合わせて、水中の清涼感が見事に描かれている。

鳴き声を浮力にしたる揚雲雀鳥羽サチイ

 雄が繁殖期に縄張りを主張し雌にアピールするため、高く舞い上がりながら囀り続ける雲雀を「揚雲雀」、対象的に急降下して巣の近くに降りる雲雀を「落雲雀」と呼ぶ。
 
春の「雲の峰」との合同吟行会で、広大な奈良藤原宮址を訪れた際、揚雲雀、落雲雀の群に遭遇したのを思い出す。初めて間近で観察ができ、全身でホバリングをしながら鳴き続ける様は健気である。この句で歴史ある自然ののどかな情景が甦った。句の中七「浮力にしたる」の言葉が、個性的な感覚で言い得ている。