今月の秀句 蟇目良雨抄出
「耕人集」2024年10月号 (会員作品)
チェス指すやラージャの姫の宮涼し加藤くるみ
マハーラージャと言えばすぐ理解できるだろう。インド各地にいた王である。その娘の宮殿が涼しいという。今も残る宮殿に行ってチェスを指したのは作者であろう。同時作<サリー着て道路工事や村灼ける><水背負ひて階段井戸を汗みどろ>にインドの現実が窺われて興味が尽きない。階段井戸は我々の「まいまいずの井戸」のことだろう。
母叱る子の声哀し散松葉関野みち子
掲句は「母を叱る子」として鑑賞した。高齢化社会のあちこちで見られる光景ではないだろうか。認知症の母を叱らざるを得ない子の悲しい声が、散る筈の無いと思われる松落葉と響き合う。<髪洗ひ女の夜の始まりぬ >大阪の女の強さでもあろうか。
夕闇の風に起伏や蛍川河内正孝
風の起伏を発見した手柄を讃えたい。螢の光に溢れる川面だから見えたのだろう。光もまた起伏をなす螢の夜の静かな光景が美しい。同時作<空蟬や乾き切つたる爆心地>は空蟬の毀れそうな脱け殻と乾ききった爆心地の取り合わせが秀逸である。
一山は風鈴千の音の中小杉和子
お寺の境内のありとあらゆる所に風鈴が釣ってあって音を発している様子がよく分かる。これだけ省略した表現に辿り着くまでにご苦労されたことであろう。同時作<端居して本を手種の夕惑ひ>も手種の措辞が句に深味を与える。本を読もうと手にしたのだが手に付かない心の乱れが表現できている。
めだか散るあるじ帰宅のチャイム音小川爾美子
水槽か池に飼っている目高の群がチャイムの音で乱れたと言っている。しかもあるじが帰ってきた時に限るようだ。チャイムをしつこく鳴らし、その後は決まって目高の驚くようなことを繰り返してきた結果こうなったのかと想像できる作品だ。面白く出来上がった。同時作<炎昼や焼きおにぎりのひとりの餉>暑さにも傷まない焼きおにぎりが不思議に説得力を持つ。
肩に来てふと親しげに鬼やんま高瀬栄子
鬼やんまが人間のそばに来るのは珍しい。しかも肩に触れて親し気に見えたのだ。作者も驚いたのであろう。それが1句になった。ありのままのことでも感動を与えることは出来る。<散歩とて老のたしなみ夏帽子>老の嗜みは誰にも大切である。美しく老いてゆきたいものだ。
北の大地の起伏に麦の戦ぎかな瀬崎こまち
北海道の大地の起伏に沿って麦が戦いでいる。やはり北海道は雄大で素晴らしいと思わせる、気持ちの良い1句になった。
早朝の警策一打ほととぎす佐藤和子
早朝に聞いた警策の一打の音が清々しい。折からほととぎすの声も聞こえる。早朝の一こまがそのまま1句になった。
鎌倉の小町の辻のこほりみづ渡辺牧士
「鎌倉の小町通りの氷水」と言ったら報告になるが「小町の辻のこほりみず」と書いただけで詩になった。
呆けねば哀れなるべし秋の風桑島三枝子
老殘を晒すより知らぬふりをして呆けることも必要になる時期が我々にも来る。
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