中島八起第一句集『青葉木菟』を読む      蟇 目 良 雨

強固な徹底写生の世界

 中島八起氏が二〇年の句業を纏めて第一句集を上梓した。誠に慶賀に堪えない。飄々とした人柄ながら作り上げる俳句作品は堅牢で春耕の伝統を脈々と受け継いでいる。本名中島久雄として金融界で実業に邁進されてきたとは思えぬ軽妙洒脱さはどこから培われてきたのであろうか。思うに、俳号を八起と変えた時からであろうか。この俳号の命名に伊藤伊那男氏が絡んでいるとすれば酒と登山の結んだ縁ということになる。俳号が実人生から切り離されて俳諧で遊ぶために大きな効果を上げた一例である。思いっきり俳諧で遊ぶために皆さまも早いうちから俳号で勝負することをお勧めする。
 八起氏は実に律儀な人で皆川盤水・前春耕主宰に心から師事し、その後も現・棚山波朗主宰に師事し「有季定型を基礎とした伝統俳句に自然と人間の生活の中から新しい美を探求する」春耕俳句を追い求めて来られた。
 『青葉木菟』には棚山波朗主宰の懇切なる序文と、伊藤伊那男氏の跋文が八起氏の「俳の風景」をバランスよく表現している。手に取って熟読いただきたい。
 『青葉木菟』には氏のこれまでの二〇年間の句業が年代別に纏められている。初期の句は「余寒」と銘打った章にある。その巻頭の句は
国訛とびかふ境内達磨市
 達磨市の光景を切り取っているがリズムに詰屈したものがあり、逆にそれが初々しさを読み手に与えている。しかし、数カ月もすると
羽搏きの仕種しきりや春の鴨
と、リズムも完成し春の鴨が北へ戻る心情のようなものを春の鴨に代わって表白しているようになっている。
「しきり」の言葉を発見したことが一句に深みを与えている。
指触るる気配に弾け鳳仙花
 鳳仙花の弾けやすさを的確に摑みとっている。鳳仙花と作者の距離がやすらぎを感じさせる。家庭で奥さんと庭いじりをしていた効果が表れたものか。作句から五年も経つと
余寒なほ大仏殿の石畳

を成しているが、よくある余寒の風景で無く、石畳の措辞によって、大仏殿が建てられている最中の未だ屋根の付けられていない天平の往時の様子まで想像されて余寒が一入感じられると思った。「物」で語らせる写生俳句の真骨頂がここにあり、俳句を始めて五年で到達したことは僥倖といえよう。
流木をもて鮎飯を炊きにけり
 この句は、観光簗で遊んだときに鮎飯を炊く薪が流木であったという発見の句と鑑賞してもいいが、鮎釣りに来て釣れた鮎を早速、河原で鮎飯にしようと乾いた流木を焚きつけたと鑑賞すると野趣深いものとなる。
八起氏は凝り性で蕎麦打ちまですることを考えるとこんな鑑賞も出来るのである。
道標に熊の爪痕草紅葉
 棚山波朗主宰の序文によればこの句は羅臼岳での句という。これは本人が主宰に述べた言葉によるのだろうが、この知識が無くても、草紅葉の見える案外見晴らしの効く原野の光景と思え、遊山気分が吹っ飛ぶ可笑しさが醸し出されるのではないだろうか。
  飯豊山
霧滴音立ててゐる岳樺
 飯豊山は新潟県、山形県、福島県の三県の境に立つ山。雄大な裾を持ち登るに難しいと言われる。この句は山中での句。霧の滴が大きくなって音を立てて落ちるほどであることに感銘して出来た句。登山に夢中になって自然の懐に飛び込んで得られた句である。
積み上げし薪の片減り笹子鳴く
 冬の初めに積み上げられた薪の山が、冬の間中使われて片側だけ減っている、そんな山村の家に鶯の笹鳴きが聞こえ出してもうすぐ春になるよと言っている。「薪の片減り」を発見したことにより春近しを教えられる。
富士山のよく見ゆる日の運動会
 武蔵の国に移り住んで感じることは折に触れて富士山がよく見えることである。氏の幼かりし頃は高層の建物がほとんどなく、どこからでも富士山は見えたことだろう。運動会の幼い声を聞きながら、在りし日の我が身のことを思い出していたに違いない。
 「饗のこと」(平成十九年~二十年)から作句生活も十年に入った。句境は一気に変化し高みにのぼる。
水馬池へこませて跳ねにけり
 あめんぼうが跳躍するときに池をへこませたと見た気宇壮大な句。ここまで表現が出来ることは虚実皮膜の間に遊ぶ術を手中にしたから。句作十年でこの域に達したことに驚く。
糠床にひと塩を足す半夏生
 半夏生の頃の不安な気分を納めるために糠床を持ってきた手柄。饗のこと神と和したる祝膳 奥能登の珍しい行事に作者も参加して神と一緒に祝膳を頂いたことを喜んでいる。
 「大凧」(平成二十一年~二十二年)から
盤水の名乗りを聞けぬ秋さびし
 前主宰皆川盤水先生が満九十一歳で亡くなった。「ばんすいーー」と長く尾を引くように名乗られたことを懐かしんでいる。
 「青葉木菟」(平成二十三年~二十四年)から
月照らす縄文の森青葉木菟
 この句は屋久島の句ということらしいが辛口で言えば「縄文の杉」とした方が成功したのではないか。縄文の森は全国に何カ所かある。縄文杉といえば屋久杉ときっぱり言えると思う。蛇足ながら記しておく。
ひぐらしの声賑やかに盤水忌
 盤水先生は賑やかなことがお好きであった。盤水忌に相応しい句である。
カムイてふ粉で打ちたる走り蕎麦
 蕎麦打ちに凝った作者は「カムイ粉」取り寄せてそばを打ち悦に入っている。一度ごちそうになったが旨いものである。
枯草を引けば思はぬ力あり
 自然の力恐るべしと庭仕事で感じる作者。
 「天守台」(平成二十五年~二十六年)から

咲ききつて箍の外れし牡丹かな
 「箍の外れた」牡丹の花びらは今にも外れて落ちそうである。
病む妻を見舞ひし道の無月かな
 八起さんの奥さんと一度「松島トモ子ショー」をご一緒したことがある。楚々とした賢夫人である。入院されてさぞかし八起氏は心配なさったことであろう。無月に不安感が籠められている。
 「秋うらら」(平成二十七年~二十八年)から
  脊椎管狭窄で入院
点滴のしづく目で追ふ春の闇
 登山が好きで吟行が好きで各地に旅をされた八起氏であるが、使い過ぎたのだろうか脊椎管狭窄症になられ手術を決意された。完全に治るのか不安な気持ちで点滴のしづくを目で追う気持ちはよくわかる。術後しばらくは辛そうにしておられたが最近は昔の元気を取り戻し句作にも酒にも親しんでおられる。益々のご健吟を祈り、第二句集の上梓を心待ちにしている。
 以上、棚山波朗主宰の序文と伊藤伊那男氏の跋文に重ならない句から中島八起氏の句業を展覧してみた。最後に句集の装丁の優美さも褒めておきたい。