佐々木蔦芳(ささきちょうほう)さん「薫風」の加藤憲曠門下で、「風」の沢木欣一を経由して「春耕」の皆川盤水の門に入った。句集『残響』(東奥日報社刊)は平成二十八年四月に刊行された。その年、蔦芳さんは二月に九十一歳の天寿を全うした。本句集の刊行に尽力したのは蔦芳さんの弟子でかつ縁戚にあたる鈴木志美恵さん。「校正が終わって、あとは出版を待つだけです。四月中旬には句集が手元に届きますよ」と志美恵さんに伝えられた蔦芳さんはその夜に安心したかのように息を引き取ったという。佐々木蔦芳さんは大正十三年生れ。十五歳で地元の原迷夢に手ほどきを受け、後に加藤憲曠の「薫風」に拠り七十五年の句歴を重ねて来た。その後「風」や「春耕」に入りさらに研鑽を積み、「薫風」同人会長を努め青森県俳句界に尽した。句集は『残響』が初めてのもので実に七十五年の重みが詰まった全三百六十句の句集である。みちのくで農業をやられる傍らの句は大地に根を下ろした骨太の俳句ばかりである。     

   鏡餅刃こぼれ鎌も並べ置く

   鋸目磨ぐ杣にとろとろ囲炉裏燃ゆ

   山背吹き村中にほふ厩出し

   畝たたく喜雨の力を見てゐたり

   蕗茹でる大鍔釜を据ゑにけり

   三寒を藁打ち四温山巡る

   父ほどの才覚もなし葱坊主

   稲扱きし夜は酔ひやすく寝ねやすく

   色鳥や村に井戸掘る櫓たつ

どれも農に根ざした、みちのくの厳しい自然を詠った佳句である。

   歯並びのよき山の子やさくらんぼ

   逃げ水の逃げ切つて海もり上がる

   掛け合ひの盆歌かなし鹿角郡

   霊水は新緑の味嚙んでのむ

   日本海の雲の量感鳥帰る

   亭亭と槙青青と初御空

これらは瑞々しい感性に溢れた句で気持ちよい。「掛け合ひ」の句は西馬音内の盆踊の景と思うが、流麗な踊に比べて男の歌う掛け合いの音頭は時に卑猥になり、哀しみを感じさせることに私も同感である。

   茂吉忌の雪を焦がして紙燃やす

   古小豆なかなか煮えぬ去来の忌

忌を扱った二句は茂吉らしさ、去来らしさの出た句だと思う。皆川盤水の<長靴に新聞を詰め茂吉の忌>と比べても遜色がない。去来の忌は類型の無い句で、去来をもっともっと学ばなければと言っている。

  いささかなわが軍歴の紙魚のあと

   妻のもの羽織り夜寒の稿を継ぐ

   会津衆と呼ばれて古書を曝しをり

これら三句は自画像であろう。徴兵された自分を振り返り、農の傍らに文筆活動をし、出自を薩長に追いやられた会津藩の末裔であることを暗示している。

   残響や燭あかあかと十夜寺

句集名になった句であるが、十夜寺の燭に照らされた堂内の経を誦する響きが残響になるのは、幼いころからの習慣が記憶の中にいつまでも残っているからであろう。七十五年の俳歴に相応しい句集。(蟇目良雨記)