第57回俳人協会賞一次予選通過作品

沢ふみ江 第二句集『雀色どき』寸感       池 内 けい吾

第一句集『桜橋』以降の十二年間の作品を収めた、著者の第二句集。表紙の帯には〈上田五千石、皆川盤水、棚山波朗という三人の師の後姿を追い、「自分の感動を自分の言葉で表現する」ことを信条に励んできた、三十年の俳句人生であった〉とある。そうした著者の姿勢の垣間見られる充実した一冊である。
雀色どき椎の匂ひの膨らみ来
 句集名は右の句からとられたのであろう。「雀色どき」とは夕暮れどき、黄昏どきのこと。日の沈まんとしている空の色を雀の羽の色に譬えた表現だが、なかなか味わいの深い比喩である。
遠ざかるほどに初富士濃かりけり
 本集の冒頭に置かれた句である。この句に初めて出会ったとき、なるほど東京から見る初富士とはこういうものかと感心したのを鮮明に記憶している。俳人にとっての富士山は、東京から眺めるべきものなのかとさえ思われた。本集には、ほかにも左記のような富士の句がある。

大初日富士に表も裏もなし
遠富士へ大き尾を振る鯉幟
遠富士を客にもてなす夏座敷
 いずれも東京から眺めている富士の姿であろう。著者にとっての富士とは、駿河のものでも甲斐のものでもなく、東京というより「江戸」のものなのではないだろうか。東京の下町に生まれ育った彼女はまさに「江戸っ子」であり、かつての江戸の人々と同じまなざしで富士を見つめているように思えてならない。
「遠富士を客にもてなす」など、江戸の粋の極みといえるのではないだろうか。
水中花都会の暮しより知らず
と、半ば自嘲的に詠んでいるように、著者の本質は都会人というよりも江戸っ子なのである。そうした江戸っ子ならではの句が集中に散見される。たとえば左記のような作である。
花街の路地掃く人や昼ちちろ
鳴りづめのめ組の幟生姜市
惜春や船折り返す桜橋
二天門に松の風立つ神迎
大川の刃金光りや冴返る
語り掛くるやに寄り来たる都鳥
 花街の路地、め組の幟の鳴る生姜市などは、古典的な江戸の風情といえよう。「桜橋」はいわば生まれ故郷であり、第一句集の標題でもあった。「都鳥」は江戸における百合鷗の雅称であり、その意味では江戸にしか存在しない鳥ということになる。都鳥に親しみを寄せている江戸っ子としての著者が、ここにも顔を見せている。
 鳥に限らず、著者は空を飛ぶものが好きなようだ。中でも蝶と蛍を詠んだ作品に注目させられた。まず蝶の句。
小刻みに草から草へ秋の蝶
水分の淵に初蝶荒あらし
冬の蝶力溜めては舞ひ上がる
大椨より沖の晴間へ梅雨の蝶
瀬を越ゆるとき初蝶の黄を凝らす
 一句目。草を小刻みに移動する姿は、まさに秋の蝶。二句目。山水の分流地点に見る初蝶を、「荒あらし」と捉えた視点がみごと。三句目。舞い上がったのは、鮮やかな冬晴れの空だろう。四句目。椨の木から飛び立つ蝶越しに見える梅雨晴れの海。焦点移動の技法を生かした映像表現が生きている。五句目。浅瀬に映る初蝶の黄をクローズアップした色彩表現が効果的だ。
 次に、注目すべき蛍の句を掲出してみたい。
殖えてきし蛍や風の生臭し
初蛍舞ひ上がるとも吹かるるとも
上りつむる時蛍火の濃かりけり
蛍火の長き間合や草匂ふ
我の掌に来たる蛍の息使ひ
 一句目。蛍が増殖する頃の季節感が「風の生臭し」で、リアルに描かれている。二句目。いかにも初蛍らしい頼りなげな姿だ。三句目。成熟した雄の蛍だろう。上りつめた高みから、草むらの雌に求愛信号を送っている。四句目。蛍火の明滅の間合にひとしお感じられる草の匂い。一句目もそうだが、著者は視覚だけでなく嗅覚でも蛍を愛でているようだ。五句目は触覚で愛でている蛍といえようか。蛍好き、ここに極まれり、というところか。
 集中に数多く見られる桜の句にも触れておきたい。これほど四季折々の桜を詠まずにいられないのも、江戸っ子の性というべきか。
早や空へ色を放てり桜の芽
花三分枝の先まで紅走る
咲き満ちて相重ならず花の蕊
風生のさくら肩より解れ初む
糸桜風恋ふるとも拒むとも
夜桜の金千条のしだれやう
咲くよりも散るとき桜濃かりけり
花屑となりてより色定まれる
冬桜見つむれば色溶けゆけり
冬桜近づくほどに素つ気なく
 とくに気になる桜の句を、季節順に抽出してみた。「桜の芽」に早くも花の盛りの色をみているのが、気の早い江戸っ子らしい。「風生のさくら」は、真間の伏姫桜だろう。この句以下三句は、いずれも枝垂れ桜。著者は散ったあとの桜や、冬桜のひそやかなたたずまいにも心引かれずにはいられないようだ。
 第一句集『桜橋』と同様に母を詠んだ句の多いのが本集の一つの特色だが、五句だけ収載されている父の句にも大いに注目させられた。
煤逃の父海描いて戻りけり
南瓜汁戦後の味と父の言ふ
パナマ帽斜交ひに父来たりけり
ワルツ踏みし父の白靴拭ひけり
父を追ふ夢の覚めぎは秋の蟬
 これらの作品からは、少しシャイで多趣味な、一昔前の知識人の姿が髣髴としてくるようだ。かつて先師皆川盤水先生が〈知・情・意の働きのなかで、知性が勝っていて柔軟な情感とよく調和しているのが特色〉と指摘された著者の感性は、父譲りなのではないかと思われた。
 その他に特に心を引かれた作品を左記に掲げておく。
北窓を開け地球儀の海の色
寒林の影とも己が影かとも
水あれば水に沿ひゆく秋遍路
立上りみ柱神となり給ふ
乗れさうな雲を見てをり大花野
揚ひばり祈りの空を深くせり
ひそと咲きはつきりと散る山茶花よ
まだ濡れゐる音に吹かるる蛇の衣
みんみんのゆるびきつたるけふのこゑ
初蝶や一日素直になる予感
再生の玉音放送朝ぐもり
初ひばり声を余して落ちにけり
 最後に一切の装飾を排した簡素な装丁・造本にも共感を覚えた。何よりも軽くて、手に取って読むのに楽でよい。帯とカバーを捲ると、まさに雀色の表紙が現れたのには、思わず頰のゆるむのを覚えた。