野田晶子(しょうし)
大正4年11月5日に愛知県に生れ
京都大学法学部に学び、戦前満州航空、戦後中日新聞社に入社
俳句関係では職場句会「百花」、のち「風」「春耕」に入会。
大学を卒業し、すぐ就職したのが満州航空ということは略歴にも書いてあるが、この会社では陸軍の偵察機に同乘し、ソ満国境近くまで飛び、山野の航空写真を撮りつづけていた。
平成13年11月22日没 。
句集『新雪』より
妻逝きて今年も来る閑古鳥
更紗木瓜びつしりと花百日忌
新しき文字の浮きたる墓洗ふ
「昭和三十年十一月十九日より翌三十一年四月二十七日まで、敗戦後のレンパン島にありしを偲び五句」という前書きのある句のうち二句
引き潮に岩海苔採りの裸かな
海を背の演芸会や炎天下
小佐渡晴れ大佐渡覆ふ時雨雲
まんさくや山刀伐峠つづら折り
浅蜊採る手許かすめて鳶の影
みそさざい山の水引く竹の樋
父綴ぢし軍事郵便曝書する
月山に登る
雪渓の下の空洞水走る
岩韮咲く山の鉄砲水のあと
新雪の檜山杉山奥秩父
秩父宮ラグビー場
倒れ伏すラガーに走る大薬鑵