【川澄祐勝さん俳歴】
川澄祐勝(本名)さんは昭和6年1月1日、埼玉県秩父郡皆野町で生まれサラリーマンを経験した後に高幡不動尊に入山。中興32代高幡不動尊大僧正秋山祐雅さんの教えにより俳句の道にも導かれた。昭和53年の頃である。以後清崎敏郎(若葉)、皆川盤水(春耕)、松本旭(橘)各師について本格的に勉強され、それぞれの結社の同人になった。俳句は写生を大切にして見たことを正しく表現することを身上とした。中興第33代大僧正になってからも純真な俳句の目を失わなかった。したがってそこには一般の人が知らない寺の内部のことを俳句にしたものも含まれていて興味が尽きない。平成29年10月10日死去。享年86歳。
川澄祐勝 30句抄
赤い羽根輪袈裟に刺して貰ひけり 昭和59年
弾むほど袋に詰めし寺落葉 昭和60年
夢のなほ新発意でありにけり 昭和61年
毛皮脱ぎすぐ大黒となりにけり 平成元年
鳴りやまぬ塔の風鐸天の川 平成2年
湯豆腐や嵯峨も奥なる水の音 平成2年
鮟鱇鍋沙弥も安座を許さるる 平成4年
堅香子のおろそかならぬ花の反り 平成4年
緋の袈裟のずしりと後の更衣 平成4年
料峭や壁のごとくに比叡山 平成7年
雪吊の縄にいささかある遊び 平成7年
耳しひるまで袋田の滝に佇つ 平成9年
甚平やもうどなたとも会はぬ刻 平成9年
着膨れて半跏坐さへもままならず 平成10年
望の夜の高野の杉の息づかひ 平成10年
秋思ふと空海の指す海の紺 平成11年
秘儀伝授切貼障子締め固め 平成12年
元旦の大香炉より迦楼羅炎 平成16年
護摩の炎のさゆらぎもなき大暑かな 平成16年
相承の珠数の一摺り年あらた 平成17年
梅白し紅しなんでもござれ市 平成17年
日展や陛下のあとをじつくりと 平成17年
事始め磨きあげたる仏器千 平成17年
花街に遊ぶ蕪村を読始 平成18年
閼伽の井の底まで浚ふ年の暮 平成20年
雑煮食ふ僧入れ替り立ち替り 平成21年
守宮つと落ち来し暁の僧溜り 平成21年
紅薄き舞妓と酌むや今年酒 平成21年
寺山の今朝の一点朴の花 平成22年
冬日濃き盤水句碑の筆力 平成22年
以上『煤掃』『風鐸』『御廟みち』から抄出