高木良多

◆俳歴
千葉県佐原に生を享け明治大学で学び税理士を業とした。昭和42年皆川盤水に誘われ創刊直後の「春耕」に参加、盤水の片腕として「春耕」発展に貢献。同時に「風」沢木欣一にも「徹底写生」を学んだ。「風」では終刊まで会計を担当し経営を支える。晩年「東京ふうが」を発刊。句集5冊『雪解雫』『八千草原』『佐原』『冬曙』『櫻狩』。『蕪村遍歴』『蕪村私観』『水郷の風土』『旅と俳句』『俳人沢木欣一の行脚風景』など研究書を刊行。死の直前に書いた文章に「写生プラス抒情では俳句が短歌的になる。徹底写生でゆくべきだ」と警告を発した。俳人協会評議員。 「春耕」顧問。「東京ふうが」顧問。
平成29年2月12日没。享年93歳 。

   『雪解雫』より

越後人菓子食ふごとく鮎食へり

玉子酒妻子見守る中に飲む

下総や胸の高さに鴨の水

雲巌寺雪解雫の音こもる

坂くだり朝の噴湯へ竹煮草

鷽替や鷽売切れの旗上がる

講の人どつと笑へり麦の秋

山椒魚孵る月山九合目

御柱梃子衆を撥ね跳ばしたり

蝮裂く十一月の山水に

  『八千草原』より

阿彌陀堂八千草原の上に見ゆ

神田川祭すみたる雲映す

翡翠の身を打ちつけししぶきかな

菊作りしづかに置きし鋏かな

泥鰌汁常陸の低き山が見え

おそろしき骨の出て来し鮟鱇鍋

花うぐひどきといふ瀬の青磁色

御柱落すあめつち息をとめ

   『佐原』より

蟲出しのいかづち一つとどろけり

北狐とぶじやがいもの花の上

後ろより前が昏しや姥櫻

鴨擊ちが田を真つ直ぐに押しわたる

  宮内庁楽部の春の雅楽

逝く春の笏拍子打つ國栖の奏

松例祭定尺棒を雪に打ち

心月輪の字の美しや玉椿

  『櫻狩』より

鯰屋へ鹿島詣りの女連れ

冬川の流れするどし機の町

  西馬音内盆踊

月にとぶかりがねの舞盆踊

山梨県富士吉田市

火祭の火の猛きかな神ませば

蓑蟲の屈伸夕日浴びながら

  『冬曙』

冬曙太古のままの湖の明け

釣り上げし鯛が真つ赤や初神楽

いかめしき足拵への根釣人

  澤木家へ贈る悼句、太郎さんへ

三千のわれも子弟や冬銀河

秘めごとのやうに竹瓮を埋めにけり

  回想・細見綾子先生生家

硝子戸にすいつちよ夜の鮮しき