秋も深まる10月12日(木)、暑いくらいの絶好の吟行日和である。棚山主宰をお迎えし総勢13名で、昔からの宿場町で歴史を誇る府中市の大國魂神社と東京競馬場の吟行を行った。
 大國魂神社は出雲の大國主神と御同神の大國魂大神を護り神として祀った武蔵野国の総社で、創建は凡そ1900年前の西暦111年5月5日である。六所の宮を合祀しているところから六所宮とも呼ばれている。

 毎年創建の5月5日を中心に例大祭が催されるが、通称「くらやみ祭」として広く知られている。この名の由来は5月5日夜、祭の一番の見所である神輿渡御が行われ八基の神輿が威勢の良い担ぎ手と大太鼓に導かれ、御旅所へ渡御するためそう呼ばれている。昔は夜でもあるので神輿が勢いあまって店先を壊したり、喧嘩等いろいろ事が起きたようだ。
 参道は素晴らしい大欅並木で、虚子の句碑「秋風や欅のかげに五六人」がある。この欅は源頼義・義家父子が戦勝祈願をし、戦に勝った凱旋のお礼詣として千本も植えられたという。後に徳川家康なども欅を寄進している。
 旧甲州街道を渡り大鳥居をくぐる。境内に安産祈願の宮の咩神社の底抜け柄杓、八朔相撲の土俵、大国主命と因幡の白兎が描かれた絵馬、さらに狛犬の仔が親の乳を吸う珍しい狛犬の阿吽像などを見て廻る。この狛犬像は昔この地が飢饉の時、豊作を願い地元民が奉納したとの事である。
 銅葺の本殿、神楽殿、鼓楼など神聖な雰囲気が漂う中、本殿裏手に廻る。そこで樹齢千年の銀杏の神木や椋の大木に目を見張る。また夏越の祓以外でもできるという形代流しもあり、湧水に沈む形代も見られた。
 大國魂神社から近くの武蔵国衙跡に向かう。ここは大化の改新以降平安中期にかけて、武蔵国の政務機関があった場所である。大和政権の国庁と見られる建物が発掘され、建物跡をしめす赤い十一本の太柱が印象的であった。ここから坂を下ると二班に分れた。
 一班は真言宗の名刹妙光院と天台宗の名刹安養寺に向かう。妙光院は西暦859年開山で京都仁和寺に属し境内の竹林が素晴らしい。大銀杏がありその下に銀杏が一面に落ちているのをみて句友が拾い始めた。更に隣接の安養寺に向かう。
 安養寺は落ち着いた感じの寺院である。開山は西暦859年で、江戸時代に家康から朱印境内除地を賜ったとのことで比叡山延暦寺の直轄寺である。境内の池の蓮の葉は青々としているが、鉢の蓮は敗荷になっている。池の上に藤棚があり大きな藤の実がぶら下がっている。空は鰯雲が青空をバックに広がっている。棚山主宰と共にしばらく大空に見惚れた。安養寺から大國魂神社を経て句会場に向かう。

 二班はダービーやジャパンカップでおなじみの広大な東京競馬場に向かった。しかし競馬は平日の為、開催されていない。途中馬頭観音や競争馬の供養のために建てられた馬霊塔や名馬の墓を見ながら東府中側の門よりJRA競馬博物館に入る。
 ここは競馬ファン必見の場所で、さまざまな展示やスターティングゲート〈発馬機〉やレース体験もでき、騎馬臨場感を楽しんだ人もいた。競馬場の全景を眺めていると、大歓声と蹄の音が聞こえてくるようであった。
 東京競馬場を出て句会場であるル・シーニュに向かう。このビルは府中駅と直結し今年7月に新築オープンした。地下から四階まではレストランや各種店舗、医院等があり、五階六階は市の施設で音楽ホールや会議室がある。フロア全体が広くのびのびとした感じである。七階以上はマンションになっている。初めてこの施設をご覧になった棚山主宰がしきりに「きれいだ。きれいだ」とおっしゃる。
 句会は一時半から始まった。都合で句会のみ参加の加藤政美さんを加え14名で、兼題「桜紅葉」一句と吟行四句の計五句出しである。
 一日棚山主宰のご指導を頂き、天候もまさに秋日和で全員笑顔の好い吟行であった。皆さん俳句への情熱が湧き出たようなお顔になっている。(報告 髙橋喜子)

当日句から
神木の洞の奥より秋の声波朗
敗荷のまだ青々と風に立つ利子
万葉の歌碑や欅の紅葉づれる妙子
池に影落としてさくら紅葉かな美智恵
はけ下の色なき風や馬霊塔喜子
人訪はぬ札所の桜紅葉せり由志美
菊の紋耀ふ甍秋高し 
駆け抜けし名馬の墓碑や鳳仙花富彦
安産の底抜け柄杓秋気満つ洋子
秋高し南無観世音馬霊塔博之
パドックはがらんどうにて飛蝗跳び政美
螻蛄鳴くや昔国衙の赤柱 
拾ひしは桜もみぢの黄と紅と節子
競馬場コースの先に鰯雲洋吉