府中市恒例のくらやみ祭も終わり、静けさの戻った5月6日(金)春耕府中句会の浅間山吟行が行われた。との曇る空模様の下、集合場所の府中生涯学習センターに棚山波朗主宰のご参加を頂き会員13名が参集した。
浅間山は府中市の中心よりやや東寄りに位置し、多摩の台地が古多摩川や他の川に浸食されてできた堂山・中山・前山の三つの頂を持つ、たかだか標高80mの山である。しかし実際に登ってみると武蔵野の面影を色濃く残す雑木林があり、林の中は山野草や野鳥の宝庫であり、相当な高山に踏み入った気持になる。初夏のこの時季には浅間山固有種の武蔵野黄菅のほか金蘭、銀蘭の花に出合えるので楽しだ。
集合場所を出発して5分ほどで新小金井街道に出る。横断歩道を渡るともうそこが浅間山登り口である。ゆるい坂には丸木の階段が設けてありゆっくりと登り始める。まもまく垣を組んだ囲いに半鐘蔓の紅紫色の花を見つける。花の形が半鐘に似ているので名付けられた。その近くの野茨の白い花には花虻がとまっており、見上げるとえごの花が葉陰に覗ける。傍らには秋に濃い紫の実の生る沢蓋木の白い花も咲いている。
坂を登りきった所で鶯神樂の実を見つける。そっと摘まんで口にするとほの甘く美味しい。少し下ると右手に小さな鳥居が見え、御みたらしと呼ぶ霊水の出ている水神社に出る。江戸時代、この湧水が万病に効くと言われ江戸市中から大勢の人が汲みに来たとの事である。またどんなに日照りが続いても涸れることがなく、干ばつの時にはここで雨乞いが行われたと古書にある。
流れの傍には丈10cmほどの猫目草が盛りを過ぎた姿を見せている。時折、木の間から黒揚羽が現れては消えていく。女坂を登り浅間神社に向かう。山斜面には金蘭と銀蘭の花がそれぞれ見事な黄色と銀色を耀わせ咲いている。
重たげな望遠カメラで武蔵野黄菅を撮影している人に、棚山主宰が「なぜ遠くから撮るのですか」と訊くと「アップより雰囲気を大事にして写しています」との答に俳句にも通じるところがあると心に留める。
女坂を登りきると黄菅橋だ。一帯には針槐の小さな白い花びらがほろほろと散っている。「この花房をさっと茹でて三杯酢にすると美味しい」とTさんが教えてくれる。
橋を渡りしばらく行くと小綬鶏の水場がある。高価なカメラを構えた10人程が陣取ってシャッターチャンスを狙っている。待っていると一羽の小綬鶏が現れて倒木の上を歩いている。頭上からは鶯の澄んだ正調派の鳴き声が頻りである。我々の話し声にも逃げる気配がない。するとすぐそばの枝の葉陰に何やら鳥の姿が重なっているのが見えた。鶯の親子で何羽かの雛に、親鳥が餌をやっているのだと野鳥の会の人が教えてくれる。
黄菅橋を引き返し堂山に到着。十段ほどの石段の上に浅間神社の小さな祠が在り標高79・86mとある。ここで記念写真を撮る。この浅間山付近は南北朝時代、足利尊氏と新田義興・義宗兄弟が戦った古戦場で東京都の旧跡に指定されている。隣接地は与謝野鉄幹・晶子夫妻、三島由紀夫、東郷平八郎等著名人が眠る多摩霊園である。
野花を見ながら中山に向かう。その四阿で各自持参のお弁当を食べる。このあたりから素晴らしい富士山を眺めることができる。
そろそろ句会の始まる時間なので、浅間山を降り始める。途中宝鐸草の群落に出合った。全身で初夏を満喫した良い吟行であった。棚山主宰も「秋にも来てみたい所だね」と感想を漏らされた。句会は府中生涯学習センターの会議室で行った。
当日句より
目印は径尽くところ落し文波朗
老鶯の餌を欲るよりも慕ふ声波朗
日を恋ふて武蔵野黄菅向き揃ふ利子
ぜんまいの解けてよりの風青し妙子
濃く淡く緑したたる雑木山 美智恵
渓風に香を吹き上ぐる花槐由志美
落ちさうで落ちぬ尺蠖歩を刻む徹
武蔵野と名の付く黄菅なぞへ径富彦
あまたたび老鶯鳴いて影見へず博之
宝鐸草泉守るごと咲きみてり久子
山すそに広がる墓域宝鐸草功
倒木にノラの子猫や姫女菀知子
柔らかき水菜の流れ手をすすぐ道子
老鶯の餌やる声の続くかな悦子
針槐香り漂ふきすげ橋洋子
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