「曇り」の天気予報は見事にはずれ、武蔵野に5月の陽光が降り注いでいた。
吟行には松川洋酔先生をはじめ8名が同行。遅めのスタートでまず武蔵野の古刹深大寺を参詣、名物の深大寺蕎麦を腹に収め野川を目指す。野川は国分寺市東恋ヶ窪を源に多摩川に合流する約20キロメートルの町川である。梅雨期を前に水嵩を減らし、流れを失った大小の溜りにザリガニやメダカを捕る少年や、大人の釣り人が鯉を狙っている姿もちらほら。また川辺でバーベキューを楽しむグループなど市民の憩いの場である事がわかる。
散歩道を進めば葉桜のトンネルの下、鮮やかな黄色の花菖蒲の群生に歓声を上げたり、たわわに熟れた桑の実を頬張ったりと少年期を懐かしむ事が出来た。突然、川の澱みに大きな水音。覗き込むと丸々と太った鯉が体を擦り合わせている。「産卵期だよ」と誰かの声。対岸の岸辺にはアオサギが微動だにせず水面を睨んでいる。休魚さんが「鷺はこちらを向いているようだが僕たちが見えていないんだ。ほら、横を向いていた眼だけがこちらに向いたね。いま、僕たちを認識したというわけだ」と博識を披露。「チコちゃんに教えて貰ったんだけどね」と一行を笑わせた。
また声だけだがウシガエルの太い声が続けざまに轟いたり、浅瀬には水浴びの椋鳥一行が水しぶきを上げたりと、この細い一筋の川に命を繋いでいる生き物を目の当たりにして、感動とともに自分の生き様がふとよぎったりした。
ゆっくりと自然を堪能し、およそ3時間かけて目的の野川公園に到着し句のまとめに入る。このあと句座は京王線の調布駅前の居酒屋の個室で。「野路はるか行けば新樹の光満つ」の句について「新樹光」としてはどうかとの意見が。しかし光の中を半日歩いて来た者にとって「新樹光」では光の量を言い表されていない気がしたので私は「新樹の光満つ」で採った。実際に吟行をするとしないでは感じ方に違いが出ると思った。 「報告 汲田酔竜」
◆「野」を詠み込んだ当日句
武蔵野の野川に憩ふ花は葉に洋酔
桑の実を抓む指先は野生児に和子
若草を踏み敷き野仏詣でけり休魚
羊蹄の野川を隠す勢ひかな黎子
寺薄暑ご朱印受くる列長し美保
なつかしみ桑の実口に多摩の野辺敬裕
夏野行く寄せ合ふ貌の一処酔竜
蘆や葦風は野に来て草の波あかね