棚山波朗前主宰三回忌法要を兼ねて「能登小春」波朗句碑を探る吟行会を行った。以下はその記録である。皆さまのご協力で完成した遺句集『能登小春』の贈呈式も行った。

第1日   住田うしほ 記
内灘― 千里浜なぎさドライブウェー― 正覚院― 気多大社― 折口信夫・春洋父子墓
 10月15日(日)午前10時、金沢駅新幹線改札口集合。雨がぱらつくも、西口より貸切りバスで出発。雨が激しさを増す中、左手に内灘の防風林が見えてくる。1952年、砂丘地の大部分を米軍が接収、米軍砲弾試射場が建設され、反基地運動の先駆けとなる内灘闘争が起こった。1957年、米軍撤収。主宰より、社会派俳句の先駆けの地である旨、解説がなされた。
鉄板路隙間夏草天に噴き  沢木欣一
白蓮白シャツ彼我ひるがえり内灘へ 古沢太穂 
  30分近く走り、千里浜なぎさドライブウェイに到着。日本で唯一、波打ち際の砂浜を車やバイクが走行できる全長約八㎞の道で、砂粒のサイズが通常の約四分の一と小さく、しかも形が均一で角張っているため、水を含むと舗装道路のように固く引き締まる。1955年、水揚げした魚を運搬する漁師のトラックが浜を疾走するのを見て、地元のバス会社が空バスを試走させたのが始まり。その後、能登の観光名所に。我々のバスも渚を快適に走り、終着点に到着。いざ歩くとなって、雨が上がる。
 越中国府に国司として着任した大伴家持が、之乎路と呼ばれる峠道を越えて気多大社を参拝した折りに、羽咋の海の風景に感じ入り残した歌の歌碑が建立されている。

千里浜 家持歌碑前にて

 之乎路(しおじ)から 直越(ただこえ)来れば 羽咋(はくい)の海 朝凪したり 船梶(ふねかじ)もがも   家持
 美しい海岸を前にして、気多大社の神宮寺の寺坊の一つで、泰澄によって創建された正覚院を訪問。本堂の外陣に掲げられた絹本著色十二天図の複製画について、説明を受ける。十二天の立像を一躰ずつ一図に描いたもので、1564年、当地で絵仏師として活躍した長谷川信春(等伯)26歳の作である。
 次いで、徒歩で隣の気多大社を参拝。本殿は類例の少ない両流造で檜皮葺、拝殿は入母屋造妻入で檜皮葺、神門は切妻造でやはり檜皮葺。造営は、神門が1584年、拝殿が1654年、本殿が1787年で、いずれも国の重要文化財である。境内裏手には、神域「入らずの森」として知られる原生林の社叢が広がっている。
 気多大社の境内には、折口信夫・春洋父子の歌碑が建立されている。
気多のむら 若葉くろずむ 時に来て遠海原の 音を聴きをり      折口信夫
春畠に 菜の葉荒びし ほど過ぎておもかげに師を さびしまむとす   折口春洋
折口信夫は生涯、独身であったが、門弟の鈴木金太郎、藤井春洋等と同居。春洋は1936年、師を追って國學院大學教授となるが、太平洋戦争で召集を受け、1944年7月硫黄島に着任。それと前後して折口家の養子となる。1945年、硫黄島で戦死、没後陸軍中尉に昇格。折口信夫は米軍上陸の2月17日を春洋の命日と定め、南島忌とした。1949年7月、春洋との父子墓を建立した。
 運転手さんの好意で、近くにあるその父子墓に立ち寄ることができた。信夫自らが選定した墓碑、「もっとも苦しき たたかひに 最くるしみ 死にたる むかしの陸軍中尉 折口春洋 ならびにその 父 信夫の墓」が刻まれている。
 1日の行程を終え、宿舎いこいの村へ。途中、再び雨脚が激しくなり、それでも驚くことに大きな虹が架かった。車中から見る虹は雨中にも拘わらず鮮やかで、最後には何と二重虹となった。主宰から、波朗先生が手を変え品を変えての歓待を示しているとの感想が述べられた。午後4時、宿舎に到着。午後5時から、早速、3句出しの句会。主宰選の入選句と「天地人」が読みあげられる。懇親会では新鮮な能登の魚を中心に大いに楽しみ、最後に主宰の短冊が3名それぞれに授与された。ゆっくりと温泉に浸かり、実り多き1日を噛みしめると同時に、翌日の句碑訪問に胸を膨らませつつ眠りに就く。

第2日   坪井研治 記
明蓮寺波朗三回忌法要・句集『能登小春』贈呈式― 平家庭園― 巌門― 妙成寺
 2日目は秋晴のもと、句碑の所在する明蓮寺を訪れた。
能登はやさし海の底まで小春凪波朗

能登吟行

句集 能登小春 目録贈呈

   8年前の前主宰の笑顔がそこにはあった。追悼法会、句集『能登小春』贈呈式は、前主宰のご長男広樹氏ご夫婦と、近隣のお知合い、地元報道関係者立ち合いのもと挙行された。
句集『能登小春』より当時を偲ぶ。
生れたての句碑を離れぬ雪蛍
小鳥来ておとうとが来て句碑びらき 波朗

 全員の焼香、蟇目主宰のご挨拶、ご住職の法話、「型を通して美に目覚める」等、約1時間厳かな法会であった。
 前回お世話になったご住職は勇退され、御子息、お孫さんに今回は司式いただいた。
 法要が終り句碑の前に集まり、過ぎし日の事に思いを寄せる。その様子が地元紙に掲載されたので末尾に紹介した。
 また志賀町郷土史家長幸雄氏のご案内で、波朗前主宰の生家跡を目にすることができた。先生に1歩近づけた感があった。
 その後2日目の吟行に移り、近隣の心字池を配した枯山水の「平家庭園(たいらけていえん)」を訪れた。平氏の落人が築いた6000坪の「深山幽谷」を想起させる庭園だ。
 「明蓮寺・平家庭園」ともに銀杏・どんぐりが降り、雲が空を走る能登の秋を堪能した。
巌門へ
 午後は8年前も訪れた「巌門(がんもん)」を目指した。途上、バスのワイパーも負けるような驟雨に遭遇し、巌門への急坂を思うと下車は無理な気配であった。しかし、駐車場に停車する寸前に雨は上がり、とりあえず下車することができた。「巌門」は能登金剛を象徴する観光名所だ。日本海の荒波に削られてできた自然の洞門は、幅6m、高さ15m奥行き60mの大きさだ。自由行動であったが、多くの参加者が急坂を下り洞窟まで行った。所定の時刻に全員がバスに乗車すると間髪を入れず雨が降り出した。
 最後の目的地「妙成寺」に向かった。
 途上、流れが急な雲の下に竜巻が発生した。雨雲から垂れ下がる様にできる棒状の竜巻は、海上で発生する事が多い。しかし、今回は陸上でも遭遇した。バスの運転士によると、陸上の竜巻は20年ぶりとの事。参加者は初めて見た方が多いようで、車内はかなりの賑わいだった。
 天気の急変を楽しみながら?30分程で「妙成寺」に着く頃には雨も小雨となった。
 「妙成寺」では、長谷川等伯の若き頃に描いた「涅槃図」を観る。図の右下に猫が描かれている珍しい涅槃図だ。さらに修復中の五重塔等、重要文化財の建物について説明を受けた。説明、法話の最中に雨脚が強くなり、外を見学できないため、法話が所定より長くなった。
 釈迦の大慈悲の説明で「己を忘れて他を利するは慈悲の極みなり」と頂いた。
 法話を含めて約1時間であったが、後半は雨脚も弱くなり、重要文化財の建物等も見学できた。残念ながら北陸随一の威容を誇る五重塔は修復工事のために足場が組まれていてその全貌に接することができなかった。
 見学の要所では雨が上がり、雨降りの中では虹・竜巻に遭遇するという「波朗晴れ」「能登時雨」を満喫した1日であった。
 過日能登出身の俳人で、その母が波朗前主宰と羽咋高校の同期生である人から、東京に来て驚いたことの一つに、「傘を持参せずに外出できることだ」、と聞かされていた。曰く「能登では天気が急変するので常に傘を持参していた」、その時は聞き流していたが、ふと思い出した次第だ。かつ、前回は能登には年間に2週間しかない快晴に恵まれた事を思うと、前主宰の晴れ晴れとした笑顔が偲ばれた。
2日にわたる能登の旅では「波朗晴れ」と「能登時雨」を満喫した充実した時を過ごせた。

(一日目)俳句大会成績 
◆蟇目良雨主宰 選
天 濃く淡く大きく秋の二重虹山岸美代子
地 七五三少しいつしよにあるいてみる小林黎子
人 家持の歌碑や沖より鳥渡る高井美智子
【入 選】
荒海に群を割られて浜千鳥清人
家持の歌碑訪ひをれば秋の声八起
十二天図拝し羽咋の秋惜しむ真知子
一位の実ふふめば能登の海へ日矢美保
すがれ虫折口父子の墓訪へば美保
波音の朗々として能登時雨大和
山葡萄たわわ折口父子の墓所多加子
能登瓦雨に艶めき秋深むまさこ
千里浜の風紋に秋惜しみけり敬子
《杉阪大和特選》
千里浜に重ね寄せ来る秋の潮うしほ
《杉阪大和入選》
師の里をすつぽり包む秋の虹美智子
宝達山は師の山秋の雨上がる清人
雁渡し之乎路に古りし石の梶良雨
等伯の修行の寺や葛嵐良雨
蔦からむ入らずの森や鵙猛る美智子
七五三少しいつしよに歩いてみる黎子
再びの先師の郷や能登金秋真知子
行く秋の之乎路の歌碑に師を思ふ京子
能登恋の句集かたへに秋日和多加子
《児玉真知子選》
秋色の能登に日照雨の虹立てり直江
虚飾なき波朗や能登や新松子大和
すがれ虫折口父子の墓訪へば美保
行く秋の之乎路の歌碑に師を思ふ京子
家持の歌碑訪ひをれば秋の声八起
《中島八起選》
新松子檜皮葺なる気多大社和世
師の里をすつぽり包む秋の虹美智子
行く秋の之乎路の歌碑に師を思ふ京子
堅渚行く先々を浜千鳥まさこ
(二日目)俳句大会成績 
◆蟇目良雨主宰 選
天 雲垂れて竜巻のぼる能登晩秋児玉真知子
地 清張の歌碑に騒つく秋の雨酒井多加子
人 秋うらら賽銭籠の柄の長し角野京子
【入選】
木守柿能登の瓦の黒光り研治
巌門のしぶき浴ぶるも秋たのし朝実
風にゆるしどろに殖ゆるものに萩黎子
能登時雨涅槃図を説く僧とゐて清人
◆杉阪大和指名選者 特選
能登時雨この風土あり波朗あり里香
【入選】
枯螳螂腹の朱色を膨らませ美保
秋うらら賽銭籠の柄の長し京子
巌門をたたく白波新松子令子
巌門の沖より晴るる能登時雨京子
松手入れ了へし庄屋の能登瓦和世
等伯の松の傾く蔦紅葉良雨

今回の旅で明蓮寺谷野了師、同寺檀家の皆様、志賀町郷土史家長幸雄氏、北陸中日新聞大野沙羅氏、「いこいの村」石原悦子氏、志賀町坂井好美氏、北國新聞伊藤聡哉氏並びに棚山広樹ご夫妻に御世話になったことを誌面を借りて御礼申し上げます。また、児玉真知子事業部長以下事業部の皆様にも御礼を申し上げます。蟇目良雨