12月15日、なかなか20度以下にならない。
浦添城の歴史は古く、鎌倉時代に遡り、既に英祖王統の野面積み、浦添ようどれと極楽寺を造営したと伝わり、室町時代察度王統には高麗瓦葺きの建物ができ、王宮とされる。1406年尚巴志に滅ぼされ、首里に王宮が移される。以後第二尚氏の尚寧王の1620年にようどれを改修。第二尚氏は400年続いた。
国指定史跡のようどれは、2005年に復元完了。前庭、暗しん御門、二番庭からなり、東室(尚寧王陵)の石獅子、西室(英祖王陵)の石厨子がある。西室はようどれ館で実物大に再現されている。入館料大人100円。
見所として、沖縄学の父伊波普猷の墓、浦添家の跡そばの展望台からの絶景、戦跡遺跡群のティーグガマ、浦和の塔、ワカリジー(為朝岩)、井戸としてカラウカー、ユムチガー、カガンウカー等。石畳道、浦添城の前の碑など。1852年「右御墓」(西室)の「殉死ノ者共」の骨を厨子に納める。その他浦添大公園南エントランス展示室がある。
なお、浦添グスク、ようどれ館の近くに極楽寺跡らしき跡と屋敷跡(当山東原(あがりばる)遺跡)がある。今年私としては、三度目の訪問となる。浦添城は首里城の原型(アーキタイプ)であり、行ったことのある高麗城跡との比較研究が必要です。アクセスは市役所または運動公園近くの仲間バス停から徒歩5分。電話874・9345ようどれ館。(報告 広瀬元)
当日句より
ようどれの小窓に映る冬の影元
深閑と普猷の墓碑や実万両聖紫
寒波来る戦経て来し城址かな文子
厨子がめを守りしシーサー冬祓ふ通
普天間基地英祖も嘆く冬の空白舟
城の跡歩めば冬の史詩忍ぶ求道
夕ぐれの入江を渡る浜千鳥村雀
小春日や樹肌輝く普猷の碑和雄
返還待つ普天間基地の星月夜正
老いゆけど夢もまだある暮のくじ輪タク
オスプレイ飛び交ふ音や寒空に宏