自由時間 (52)  小泉八雲と俳句           山﨑赤秋

 小泉八雲=ラフカディオ・ハーンは、新聞記者、紀行文作家、随筆家、小説家、日本研究家、日本民俗学などいろいろな肩書を持つ。

 1850年、イギリス領レフカダ島(のちギリシャに編入)で、イギリス軍医であったアイルランド人の父とギリシャ人の母のもとに出生。母はアラブの血が混じっていたらしく、のちに八雲自身、家族や友人に向かって「自分には半分東洋人の血が流れているから、日本の文化、芸術、伝統、風俗習慣などに接してもこれを肌で感じ取ることができる」と自慢していたという。
 父が西インド諸島に転属したため、母とダブリンの父の実家に身を寄せるが、ラフカディオ四歳のとき、母が精神を病みギリシャへ帰国し、やがて離婚。彼は父方の大叔母に引き取られる。厳格なカトリック文化の中で育てられる。このように、その幼少期は余り幸福なものではなかった。
 十一歳のとき、フランスの教会学校に入学する。2年後、英国の全寮制のカトリック系のカレッジへ入学する。十六歳のとき、校庭で遊んでいて左目を失明するという事故にあう。
 その翌年、大叔母が破産。後ろ盾がなくなり、学校を退学。彼の苦労が始まる。ロンドンで救貧院の世話になったりもした。
 十九歳になったとき、少し立ち直った大叔母から米国ニューヨーク行きの片道切符を渡され、シンシナティの親戚を頼るようにいわれる。しかし、冷たい親戚で何もしてくれなかった。のちに、「アメリカの街の舗道に放り出され、無一文から人生を始めた」と回想している。
 肉体労働をして倉庫の片隅に泊めてもらうというような暮らしを続けていたが、イギリス人の印刷屋と親しくなり、雇われる。仕事のかたわら、図書館に行っては読書にいそしんだ。やがて、その文才が認められ、シンシナティの有力紙の記者の職を得る。彼の記事は好評で新聞の売れ行きを左右するほどだったが、当時違法であった異人種間の結婚(二十三歳で黒人と結婚。三年後離婚)を理由に解雇される。
 その後、ニューオーリンズに移住。ジャーナリストおよび文筆家として著名になった彼は、1890年、出版社の通信員として来日するが、トラブルから契約を破棄。そのあと、1904年に五十四歳で死ぬまで、英語教師をしながら、日本に関する著作を旺盛に執筆し、欧米に紹介する。来日した翌年、日本人(小泉セツ)と結婚し、日本に帰化する。

 小泉八雲は、俳句(発句)を読んで評価した初めての西洋人である。彼は、俳句が重要な文学形式であることを英文で著わし、俳句をよく理解して敬意をもって英訳した最初の人である。こんな夫人の証言がある。彼は、発句が好きで、沢山覚えていて、廊下を歩きながら節をつけて朗詠していたという。また、「ホトトギス」も毎号読んでいたという。
 彼が俳句をどれだけ理解していたかを示すのが、随筆『霊的な日本にて』(1899)の中の〈詩の破片〉にある次の一節である。
 「俳句に共通の芸術的原則は、日本画の共通原則と同一である。画家は絵筆を数回走らせただけで、感覚や感情をよびさまし、イメージや雰囲気を蘇らせようと努力するが、俳人は、ほんの数語でそれと同じことをしようとする。そして、その目的の達成は、俳人にとっても画家にとっても、示唆する能力にのみ依存し、示唆することしかしない。
   日本画家は、春の青い朝霧や秋の昼下がりの黄金色の日光の下で見られる風景の記憶を再現しようと、スケッチの細部の精緻化を試みれば非難されるだろう。彼はその芸術の伝統から外れるばかりでなく、それにより必ずや自らの目的を見失うことになる。
 同じように、俳人はその非常に短い詩の中で漏れなく表現しようとすると非難されるであろう。彼の目的は、それを満たさずに想像力をかき立てるだけでなければならない。「イッタキリ」という言葉があるが、これは、「全部いなくなってしまった」あるいは「完全に消えた」という意味、つまり「全部語られた」という意味であるが、詩の作者が自分の思ったこと全てを表現した詩を軽蔑して評する言葉である。何か言われていないことの感動を心に残すような作品こそ称賛されるのである。お寺の鐘をひとつ撞いたときのように、優れた短詩は、聞き手の心の中に、長い間持続する幽霊のような余韻が、囁き、波立つものでなければならない」
 これを読めば、すぐに芭蕉の「謂應せて何か有(いひおほせて何かある)」という言葉が思い浮かぶ。彼は、芭蕉の俳言に通じていたほど俳句を理解していたといえよう。
 最後に、彼の俳句の英訳を紹介する。(カッコ内が、英訳を日本語に翻訳したもの)

やがて死ぬけしきは見えず蝉の声芭蕉
(これらの蝉の声は一つも告げていない 
 どんなに速く静寂が訪れるかを どんなに速く全て死ななければならないかを)
追はれては月にかくるゝ蛍かな蓼太
(ああ、ずる賢い蛍よ! 追われると、月光に隠れる)
蜻蛉飛んで事無き村の日午なり虚子
(蜻蛉が飛び回っている そして、正午の日が輝いている 重大な事が起こったことのない村の上に)