春耕俳句会は、有季定型の俳句と和楽の心で自然と人間の中に新しい美を探求します。第五感・第六感を働かせた俳句作りを心がけます。
連載記事 - 月刊俳句雑誌「春耕」掲載

韓の俳諧

韓の俳諧(48)2023年2月号

日野草城は、少年時代を韓半島で育った。正7年8月に草城としてホトトギス雑詠へ入選する直前に、雑誌『朝鮮及満洲』朝鮮及満洲俳壇へ、草城の句が載っている。

韓の俳諧(47)2023年1月号

朴魯植はホトトギス系で京城から発行されていた俳誌『松の実』にも投句していた。4月号俳句初歩欄に初めて掲載され、並行して投句していた朝鮮公論11月号では【地】に選ばれている。その時【天】に選ばれた、井上兎徑子と後に『カリタゴ』の編集や発行に当たり、大正12年5月号に朴魯植の名が『ホトトギス』に「白藻會朴魯植報」として載った。

韓の俳諧(46)2022年12月号

朝鮮の子規と言われた朴魯植は、十代の頃からかるたの選手で大正11年3月の朝鮮公論歌壇と俳壇に、朴魯植の作品が掲載された。それを見た安達緑童が、二兎を追う者で成功したことを聞かないから、どちらか一方を捨てるように勧める手紙を出し、朴魯植は、短歌を捨てて俳句に専念すると答え、5月号には短歌がなく、俳句が三句載った。短歌に専念したら憶良の再来になったのではないかと、惜しまれる。

韓の俳諧(45)2022年11月号

横井迦南は、大正5年に彌生という俳号で雑誌『朝鮮公論』に登場したが、大正6年にはホトトギスの雑詠にも句が載り、その後『朝鮮及満洲』を迦南という俳号で主戦場とし、大正7年の年賀を迦南として『朝鮮公論』に送り、そこから別れた。

韓の俳諧(44)2022年10月号

 横井迦南は京城で俳誌『草の実』を発行し、後には熊本の『阿蘇』主宰になった。阿部誠文「横井迦南」(『朝鮮俳壇―人と作品』上巻所収)が、植民地時代の迦南を克明 に追っているが、『朝鮮公論』に初学時代の作品と俳号が埋もれていた。公論俳壇大正年5月号から、龍山の彌生として登場した。『迦南句集』の年譜に、大正五年から俳句を始めたとあり、三月から始めたので彌生を俳号とし、五月号から入選した。

韓の俳諧(43)2022年9月号

『朝鮮公論』俳壇選者の青木静軒は、広い交友があった。大正4年(1915)の正月を病院で迎えた静軒に年賀・見舞状が寄せられ、来訪者もいた。列挙すると、近代幕開けの俳文学者佐々醒雪、尾崎紅葉門の四天王といわれた小説家柳川春葉、秋声会の俳人川村黄雨、画家沢山寛民、児童文学者・俳人巖谷小波、俳人出口叱牛。秋声会の俳人で、『俳諧』を刊行をした鵜沢四丁。鉱山を経営し、京城に長く住んだ俳人江口虎耳。韓半島で鉄道の仕事をしていた俳人三好不考郎。植民地支配の国策会社の社員野田大塊。さらに朝鮮総督府病院長や京城医専校長なども兼任し、医学の頂点にいた陸軍軍医総監の芳賀榮(東山)や、京城日報の編集長で、半島の俳壇に重きをなした松尾茂吉(目池)が見舞いに来た。

韓の俳諧(42)2022年8月号

雑誌『朝鮮公論』俳壇選者は青木静軒だが、何の病気かわからないが、しばしば入院して他の選者代評もあった。中でも今村螺炎は、地方の警察官から身を起こし、最後は李王職庶務課長まで至った川柳と俳句では半島きっての多作作家で、退官後は民俗学者・歴史家として名を残した。大正3年8月号に「朝鮮俳句奨励会第一回募集俳句発表」として、今村螺炎・隣雪庵千春・蟻生芙蓉・小谷丹葉・花儒園と、五人の選者が記載されているが、螺炎以外は、資料に出てこない。

韓の俳諧(41)2022年7月号

『朝鮮公論』6月号に「公論俳壇新設」として課題句を募集し、7月号に最初の募集俳句が掲載された。賞品がでるのに、住所や氏名を書かずに投句する人もいた。また、7月号には選者の青木静軒と、ソウル在住人物の旅行吟が載っている。

韓の俳諧(40)2022年6月号

大正2年4月創刊の朝鮮公論は、東京の発行だが京城に総支社があった。俳句や和歌の投書も募られ、文芸誌の性格も持っていた。創刊2か月後の大正2年6月号には俳句が64句掲載された。しかし、大正3年5月号から青木静軒の独演会の様相を呈してきた。

韓の俳諧(39)2022年5月号

明治以後の外国人による俳句は、誰が早かった許敬震(ホギョジン)氏の研究を参照すると、李米吉(イミギル)、林玉星(イムオクソン)の二名があげられるが、さらに京城日報』の、 「平壌オンドル会詠草」に文而玉(ムンイオク)の句が多く載っている。これら三名が韓国人かどうかの真相は不明である。

韓の俳諧(38)2022年4月号

鏡城南門外の田村小重郎(風見坊玉龍)が編集兼発行者した『蕉禅世界』は、韓半島の東北の拠点に進出した日本人の俳誌だった。雑詠欄には、長野からの投句もあったが、主に、韓半島の俳人が投句し、上位には、色紙や短冊が贈られた。

韓の俳諧(37)2022年3月号

『蕉禅世界』2月号の続き。主宰ではない判者の第二雑詠と云うべき欄がある。主評、風見坊玉龍に対し、月番の客評を眞風舍乙年女が行っている。乙年女は、眞風舍桑月の二代目と思われる。投句者の住所を見ると、発行地の鏡城と同じ咸鏡北道が多数を占めていて、韓半島の東北端に多数の俳人がいたことが判る。

1 2 3 4 »
PAGETOP
Copyright © 春耕俳句会:Shunkou Haiku Group All Rights Reserved.
Powered by WordPress & BizVektor Theme by Vektor,Inc. technology.