春耕俳句会は、有季定型の俳句と和楽の心で自然と人間の中に新しい美を探求します。第五感・第六感を働かせた俳句作りを心がけます。
連載記事 - 月刊俳句雑誌「春耕」掲載

はいかい漫遊漫歩

はいかい漫遊漫歩(200)(201)2023年2月号

 1966年、ビートルズが来日した際、滞日中の行動に密着取材して作成した写真集『ビートルズ東京 100時間のロマン』で写真家としてメジャーデビューしたマルチタレント、浅井慎平は、『二十世紀最終汽笛』『夜の雲』などの句集を持ち、2015年には応募句〈 青き川祖国に流れ足の裏 〉で第22回西東三鬼賞(岡山県津山市主催)受賞、俳句コンテストの選者も務める俳人でもある。 平安時代(8世紀末―12世紀末)後期から鎌倉時代(12世紀末―14世紀)の100年の時間をかけて、幾人かの手で出来上がった短編物語集『堤中納言物語』

はいかい漫遊漫歩(198)(199)2023年1月号

代表作に『冥途』『百鬼園随筆』『阿房列車』などがあり、飛び切りの “乗り鉄 ”でもあった作家、随筆家が没して40余年。三島由紀夫に〈 もし現代、文章というものが生きているとしたら、ほんの数人の作家にそれを見るだけだが、隋一の文章家ということになれば、内田百閒氏を挙げなければならない。百閒文学は、人に涙を流させず、猥褻感を起させず、しかも人生の最奥の真実を暗示し、一方、鬼気の表現に卓越している。〉(『日本の文学34』解説 中央公論社)と評された内田百閒。

はいかい漫遊漫歩(196)(197)2022年12月号

2011年(平成23年)3月11日の東日本大震災による福島第一原子力発電所の炉心溶融事故発生以来、自称“売れない写真家”は、文字通り席の温まる暇もない東奔西走の日々が続くことになった。この10年間で国内外からの要請で原発の放射線被曝の悲惨な実態を約200回に渡って講演してきた。

はいかい漫遊漫歩(194)(195)2022年11月号

若い時分、籾山梓月に「冷奴つめたき人へお酌かな」あるを拾い出し傾倒、しばらくは冷奴の亡霊に悩まされてかヤッコの句は吐けずだった。いまだに、いずれの歳時記にも梓月1句は採られていない。…遊び心の何たるかを弁えぬ没風流をこそ指弾すべきであろう。

はいかい漫遊漫歩(192)(193)2022年10月号

吉屋信子が昭和48年(1973)に77歳で没して半世紀が過ぎた。大正5年(1916)に雑誌『少女画報』に連載した「花物語」で人気を集め、3年後の同8年、大阪朝日新聞の懸賞小説に当選した「地の果まで」で文壇デビューを果たす。 俳句とは、昭和17年(1942)に文学報国会の女流文学者会で俳人の星野立子、中村汀女と知り合ったのと2年後の昭和19年に鎌倉の大仏裏に疎開したことから、やはり東京から鎌倉に疎開していた高浜虚子を訪ね、教えを乞うたのが始まり。

はいかい漫遊漫歩(190)(191)2022年9月号

〈伊藤路上歩行ハーモニカ入費増加報告屁特等席地価騰貴…〉と続き、〈…兵糧欠乏孟子と孔子世評良好だ数十丈効果甘え甘えな〉で終る経文、呪文、回文ならぬ怪文をご存知? 「妖怪的四弦」、この言葉を「おぞましくも懐かしい」と思い出せるのは、80歳以上の年齢層か。それでは「金属製曲尺八(きんぞくせいまがりしゃくはち)」「抜差曲金真鍮喇叭(ぬきさしまがりがねしんちゅうらっぱ)」は?

はいかい漫遊漫歩(188)(189)2022年8月号

 初代海上保安庁長官、衆院議員、労働大臣を務めた橙青を俳句評論の坂口昌弘は、著書『文人たちの俳句』で官界、政界で活躍の傍ら詠句にも勤しんだ俳人の一人としている。出自を辿ると、祖先の大久保八左衛門宗雅は、長水の俳号を持つ蕉門の俳人だったという。 賢治は、童話、詩のほか1000首に上る短歌を遺した歌人でもあったことは、知られていたが、わずか30句ほどとは言え、俳句も詠んでいたことが、平成になって分かった。

はいかい漫遊漫歩(186)(187)2022年7月号

初代・中村吉右衛門は、明治19年(1886)東京浅草生まれで、屋号は播磨屋、俳号(俳名)は秀山。65歳で文化勲章を受章、3年後の昭和29年(1954)に没した。 9代目・松本幸四郎(隠居名:2代・松本白鸚)は、句集『仙翁花』、随筆『松本幸四郎の俳遊俳談』の著書がある俳人である。俳名は錦升。

はいかい漫遊漫歩(184)(185)2022年6月号

渡邊白泉が「句と評論」の新同人として、同誌(昭和10年1月号)に初めて発表した自選句の中の1句〈 街燈は夜霧にぬれるためにある 〉は、多くの俳人、取り分け若い俳人に “目から鱗 ” の衝撃を与え、新興俳句の新鋭俳人として一躍注目されることになった。

はいかい漫遊漫歩(182)(183)2022年5月号

戦争が廊下の奥に立たつてゐた 〉は、新興俳句の俳人、渡邊白泉(1913-1969)の最も人口に膾炙した詠句の一つ。そしていま、プーチンの軍事侵攻の修羅場に立たされたウクライナの人達の恐怖の思いに重なるだろう。

はいかい漫遊漫歩(180)(181)2022年4月号

コロナ禍で密になるのを自粛中の春耕同人句会ネット句会で兼題への気になる投句が並んだので書く。いずれも季語「白魚」(しらうお)=キュウリウオ目シラウオ科=の兼題に対して、季語ではないスズキ目ハゼ科の白魚(素魚 しろうお)、異季語の白子(しらす=イカナゴ、ウナギ、イワシ、アユ、ニシンなどの稚魚の総称)との混同が明らかな誤詠句と言える。 鯔(ぼら)など海面(水面)高く跳ね上がる海魚、川魚はいても、空中をある時間飛び続ける魚は、現在知られている限り飛魚だけ。  その飛行テクニックだが、水面すれすれを加速して泳ぐことからスタート。フルスピードに達すると体を浮かし、発達した胸びれを左右に広げて水上滑走、頃合いを図り、尾びれと腹びれ(尻びれ)で水を強く蹴って空中へ。

はいかい漫遊漫歩(178)(179)2022年3月号

寛文4年(1664)、伊勢山田の神官、秦師貞の娘として生まれた園女(そのめ)は、医師の斯波渭川(初号一有)と結婚。俳人でもあった夫、渭川の影響で俳句を始め、芭蕉が伊勢を訪れた貞享5年(1688)に夫婦で弟子入りし、本格的に活動をスタートさせた。 『暢気眼鏡』や『虫のいろいろ』など数多くの私小説作品を残した文化勲章作家、尾崎一雄が逝って39年が経つ。戦後期、『聖ヨハネ病院にて』などの “病妻”もので知られる上林暁と人気を二分する私小説(心境小説)作家であり、こちらは年若い妻、松枝との日々を描いた“芳兵衛もの”で読者を集めた。

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