春耕俳句会は、有季定型の俳句と和楽の心で自然と人間の中に新しい美を探求します。第五感・第六感を働かせた俳句作りを心がけます。
連載記事 - 月刊俳句雑誌「春耕」掲載

はいかい漫遊漫歩

はいかい漫遊漫歩(190)(191)2022年9月号

〈伊藤路上歩行ハーモニカ入費増加報告屁特等席地価騰貴…〉と続き、〈…兵糧欠乏孟子と孔子世評良好だ数十丈効果甘え甘えな〉で終る経文、呪文、回文ならぬ怪文をご存知? 「妖怪的四弦」、この言葉を「おぞましくも懐かしい」と思い出せるのは、80歳以上の年齢層か。それでは「金属製曲尺八(きんぞくせいまがりしゃくはち)」「抜差曲金真鍮喇叭(ぬきさしまがりがねしんちゅうらっぱ)」は?

はいかい漫遊漫歩(188)(189)2022年8月号

 初代海上保安庁長官、衆院議員、労働大臣を務めた橙青を俳句評論の坂口昌弘は、著書『文人たちの俳句』で官界、政界で活躍の傍ら詠句にも勤しんだ俳人の一人としている。出自を辿ると、祖先の大久保八左衛門宗雅は、長水の俳号を持つ蕉門の俳人だったという。 賢治は、童話、詩のほか1000首に上る短歌を遺した歌人でもあったことは、知られていたが、わずか30句ほどとは言え、俳句も詠んでいたことが、平成になって分かった。

はいかい漫遊漫歩(186)(187)2022年7月号

初代・中村吉右衛門は、明治19年(1886)東京浅草生まれで、屋号は播磨屋、俳号(俳名)は秀山。65歳で文化勲章を受章、3年後の昭和29年(1954)に没した。 9代目・松本幸四郎(隠居名:2代・松本白鸚)は、句集『仙翁花』、随筆『松本幸四郎の俳遊俳談』の著書がある俳人である。俳名は錦升。

はいかい漫遊漫歩(184)(185)2022年6月号

渡邊白泉が「句と評論」の新同人として、同誌(昭和10年1月号)に初めて発表した自選句の中の1句〈 街燈は夜霧にぬれるためにある 〉は、多くの俳人、取り分け若い俳人に “目から鱗 ” の衝撃を与え、新興俳句の新鋭俳人として一躍注目されることになった。

はいかい漫遊漫歩(182)(183)2022年5月号

戦争が廊下の奥に立たつてゐた 〉は、新興俳句の俳人、渡邊白泉(1913-1969)の最も人口に膾炙した詠句の一つ。そしていま、プーチンの軍事侵攻の修羅場に立たされたウクライナの人達の恐怖の思いに重なるだろう。

はいかい漫遊漫歩(180)(181)2022年4月号

コロナ禍で密になるのを自粛中の春耕同人句会ネット句会で兼題への気になる投句が並んだので書く。いずれも季語「白魚」(しらうお)=キュウリウオ目シラウオ科=の兼題に対して、季語ではないスズキ目ハゼ科の白魚(素魚 しろうお)、異季語の白子(しらす=イカナゴ、ウナギ、イワシ、アユ、ニシンなどの稚魚の総称)との混同が明らかな誤詠句と言える。 鯔(ぼら)など海面(水面)高く跳ね上がる海魚、川魚はいても、空中をある時間飛び続ける魚は、現在知られている限り飛魚だけ。  その飛行テクニックだが、水面すれすれを加速して泳ぐことからスタート。フルスピードに達すると体を浮かし、発達した胸びれを左右に広げて水上滑走、頃合いを図り、尾びれと腹びれ(尻びれ)で水を強く蹴って空中へ。

はいかい漫遊漫歩(178)(179)2022年3月号

寛文4年(1664)、伊勢山田の神官、秦師貞の娘として生まれた園女(そのめ)は、医師の斯波渭川(初号一有)と結婚。俳人でもあった夫、渭川の影響で俳句を始め、芭蕉が伊勢を訪れた貞享5年(1688)に夫婦で弟子入りし、本格的に活動をスタートさせた。 『暢気眼鏡』や『虫のいろいろ』など数多くの私小説作品を残した文化勲章作家、尾崎一雄が逝って39年が経つ。戦後期、『聖ヨハネ病院にて』などの “病妻”もので知られる上林暁と人気を二分する私小説(心境小説)作家であり、こちらは年若い妻、松枝との日々を描いた“芳兵衛もの”で読者を集めた。

はいかい漫遊漫歩(176)(177)2022年2月号

北原白秋門下の歌人、村野次郎を兄に持ち、荻原井泉水の『層雲』に拠って俳句の修行をした後、詩人の道を歩んだ村野四郎の俳句観を紹介する。  植物図鑑を繰っていると、目が釘づけになる珍名の花に出合うことがある。例えばタデ科の「秋の鰻攫(つかみ)」「継子の尻拭」、「牛の額(別名:溝蕎麦)」、どれも薄紅の小花が可憐な草花というのも面白い。

はいかい漫遊漫歩(174)(175)2022年1月号

黄金バット」の紙芝居作家、評論家、庶民文化研究家、時代考証家と多彩な肩書で活躍した加太こうじさん(1998年没、享年80歳)は、庶民的な味を愛した美食家だった。マグロは好物だったが、極上の赤身を良しとし、トロ、取り分け大トロは「人間の食うものじゃない」とけして口にしなかった。

はいかい漫遊漫歩(172)(173)2021年12月号

池波正太郎の江戸時代小説シリーズ『鬼平犯科帳』『剣客商売』『仕掛人・藤枝梅安』には、食い物屋と江戸の食べ物が数多く登場する。美食家と言われた作家ならではの筆さばきに、読者は唾を呑み込むことになる。

はいかい漫遊漫歩(170)(171)2021年11月号

2019年は、高浜虚子の没後60年。椿寿忌(4月8日)に因み、本欄の同年4月~6月号で虚子が戦後俳句をどう評価、鑑賞していたか、“肉声の記録 ”を復刻した『虚子は戦後俳句をどう読んだか―埋もれていた「玉藻」研究座談会』(筑紫磐井編著 深夜叢書社刊)を紹介した。 その際、洩れたが、高野素十、星野立子と言う虚子にとって“身内の俳人 ”を研究座談会の弟子たちの前でどのように評価していたか、2人に対する発言記録のさわりを書く。

はいかい漫遊漫歩(168)(169)2021年10月号

勅撰集『新古今和歌集』『新勅撰和歌集』の編纂者で『小倉百人一首』の選者として知られる鎌倉時代初期の歌人が、俳句(発句)も詠んでいたらしい。江戸俳諧考証家で、詩人、俳人の加藤郁乎著『俳諧志』(岩波書店刊)で著者は「門外俳句」の1項を設け、「上古誹諧」の収載句を紹介している。 松尾芭蕉は、野ざらし紀行の途次、貞享元年(1684)に名古屋に立ち寄った。その折に門弟になったのが、当地の富裕な米穀商、坪井庄兵衛こと杜国。俳聖が数多の門弟の中でも取り分け目をかけ、寵愛する弟子となる。ときに杜国27歳。40歳の芭蕉にとって一回り若い“いけめん”の弟子だった。

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