「耕人集」 3月号 感想  沖山志朴

咲き満ちてなほしづかなり冬桜長谷川貴美惠

 冬桜にも小葉桜、四季桜、十月桜など、いろいろな種類がある。花の色も白、薄いピンクなど様々。掲句の桜は、十月桜のような白色系のものか。
 染井吉野などの通常の桜は満開になると、きらびやかに盛り上がる。しかし、十月桜などは実にひそやかに花をつける。それを作者は対句的に「なほしづかなり」と表現した。これにより季語の本意が十分に生かされた句となった。 

留守電の声も忙しき年の暮古屋美智子

 年の暮、外で用事を済ませて戻ると留守電が入っている。知人からの電話の声、いつもに比べて早口でいかにもせかせかしている様子。
 中七の「忙しき」がうまく生きている。この措辞により、電話の主の、心の機微までもが伝わってくる。聴覚を通じて、慌ただしい人の心の内を的確に言い得ている。

笹子鳴く土塁隠れに木がくれに杉山洋子

 春の繁殖期を迎えた鶯は比較的高い枝で囀ったり、餌を採ったり、営巣したりする。しかし、冬の笹鳴の時期は、低灌木で餌をとりつつ鳴き移ることが多い。
 戦国の時代に城が築かれていた山だったのであろう。いまだにその土塁の一部が残っていて、山肌に、はっきりと凹凸がある。時には、その凹部の低木に隠れるようにして鳴いていたのであろう。笹鳴の頃の生態をよく観察して作っている句。 

鳴き立てて師走をせかす群雀千野弘枝

 雀は、穀物が実る秋ごろから冬にかけて、群を作って行動するようになる。時にはその群が低い生垣の中や常緑樹の葉陰に群れて、騒がしいくらいに鳴き立てることがある。
 掲句の雀も、恐らくそのような群で鳴いている状況だったのであろう。ただでさえ、あれもしなくては、これもしなくてはと気ぜわしくなる年末、群の鳴き声を聞いていると何となく追いたてられているようで、落ち着かなくなってきた作者。言葉に緩みがない。 

気がかりな友の賀状の筆乱る平照子

 以前から健康がすぐれないということを聞いていて、心配していた友達なのであろう。その心配が、年賀状の文字の乱れを目の当たりにすることにより、より確かなものになったという。
 励ましたり、励まされたりと深い交わりのあった人なのであろう。駆けつけて行って励ましてやりたい気持ちはあっても、高齢になるとなかなかそうもいかないのが実情。内的な素材をうまく具象化している。

廃村の耕具の錆や冬ざるる中矢泰之

 近年、限界集落という言葉をしばしば聞くようになった。人口の都市部への集中や高齢化など、社会の変化は加速化している。政府の5年前の調査では、この限界集落が全国に15,000余もあったとのこと。現在はこの数字もさらに増えるとともに、やむなく廃村に追い込まれてしまった集落も少なくないであろう。
 掲句では、廃村のさびれた様子を「耕具の錆」と象徴的に表現している。その冬景色の中の錆びついた農具から、かつての田を耕していた人の姿や、賑やかに登校する子供たちの姿、あぜ道を飛び回る犬の鳴き声や姿などを想像しては、寂しさを感じたであろう。省略が効いていて、想像の広がる句である。 

初旅の眼下の慶良間波静か赤嶺永太

 慶良間島は、国立公園に指定された自然の宝庫。ダイビングなどの人気スポットとして知られている。しかし、第二次世界大戦末期、この島では、600人もの人たちが集団自決に追い込まれるなど、激戦地としての悲しい歴史を辿った。
 作者は、飛行機の中からこの島を俯瞰している。その作者の脳裏に、この戦時中の悲しい出来事がよぎる。この静かな美しい島をなんとも複雑な心持ちで見下ろしていたのであろう。しかも、初旅。下五の「静か」がなんとも切なく響いてくる。

枝打を終へて樹の香を持ち帰る衛藤佳也     

 枝打は冬の季語。杉や檜の木は商品価値を高めるために、節目を残さないように植林後15年目くらいから下枝を切り落としてゆく。これにより、日も十分に行き渡るようになり木の成長も早くなる。
 今日では、便利な機械もあって、比較的簡単に枝打ができるようになった。しかし、掲句における作業は鉈を使っての重労働であったのであろう。その様子が、「樹の香を持ち帰る」という比喩的な表現に象徴されている。