「晴耕集・雨読集」6月号 感想 柚口満
片栗の花のどこかが揺れてをり児玉真知子
片栗の花は万葉集に「堅香子」としてみられ古くからその風情は人々に愛されてきた。先年、佐野市の三毳山でみた早春の片栗の花は北斜面に見事に群生していて赤紫色の可憐な花弁は圧倒的な迫力であった。
この花は下向きに咲き6枚の花びらが大きく反り返る形はほかの花にみられない特徴である。不思議な花弁に魅せられた作者は「つねにどこかが揺れてをり」と詠んだがその可憐さを見事に表している。ちなみにこの花の花言葉は「初恋」、「寂しさに耐えて」というのだそうだ。
疫病の居座りしまま花は葉に沢ふみ江
新型コロナウィルスの感染騒ぎは日本各地を駆け巡り個人個人の生活までをも大きく狂わす一大事となり現在も進行中である。
かくいう自分も3月の同人句会の日に電車に乗ったきり100日余りは電車に乗らず病院通いも自家用車を使っている。こうした諸事情は皆さんにもそれぞれにあったわけで、掲句も桜という象徴的なものを中心に据え、開花前、開花、落花、葉桜という長い期間のまがまがしい疫病の居座りに辟易としている。今年の桜は落ち着いて見られる雰囲気には遠かった。「花は葉に」の季語の使い方に注目した。
揚雲雀声出しきつて落ちにけり窪田明
日本人が最も親しみをもつ鳥といえば鶯と雲雀ではないか、という人がいるがなるほどと思う。春の青空を独り占めして鳴くあの囀りを聞けば、春の雰囲気はもう充分である。
揚雲雀、落雲雀の季語は俳人が好むものであるがその呼び名の優雅さによるものかもしれない。
掲句はピューチュル、ピューチュルと鳴きながら上天に達した雲雀が急降下するときには声を出し切っていた、と捉えたのが秀逸である。
少年と交はす挨拶木の芽晴大塚禎子
清々しさを感じる一句。春を迎えた木の芽時、世の中の木々が一斉に芽吹く頃は一年中のなかでも特に自然の生命力を感じる頃である。
この句は作者の日常の生活の流れのなかで作られた一句であろう。木の芽晴れの朝、家の周辺を掃除中に元気に挨拶を投げかけて通り抜ける少年がいて、「行ってらっしゃい」と答えを返す本人、爽やかな空気が交差する一瞬である。木の芽晴の季語がよく効いている。
待ち人の近づくけはひ春障子青木洛斗
春耕の先師皆川盤水の句に「妻の客ばかり来る日や春障子」があるが、春障子の句としては取り合わせに女性をもってくるとほのぼのとした風情が醸し出されるようである。この句も待ち人は女の人と想像する方が鑑賞の枠が大きく膨らむと思うのであるが。作者は生粋の京都人だからどこの春障子かも興味を引く。
巣づくりの大枝咥へ鴉発つ勝股あきを
この句の作者は今年の春耕誌の4月号から「四季の野鳥」と題して連載を始めている。地元の野鳥の会にも属しわが結社でも鳥のことなら勝股へ、との信頼を有する。掲句は巣作りに励む鴉が大きな枝を咥えて飛び出す一瞬を活写している。私もこういった景に遭遇したことがあるがブンブンと空気を割く音が今も耳奥に残っている。
花の雲つい遠くまで来てしまひ清水伊代乃
花の雲とは咲き連ねる桜の花を雲にたとえたもの、芭蕉の「花の雲鐘は上野か浅草か」は万人に愛されている。伊代乃さんの句はその花の雲を追ってついつい遠くまで来てしまったと詠む。幼い子供たちが満開の桜に魅せられて気が付けば知らない街に来てしまったような光景を想像してみたが、それもファンタスティックな詠みぶりのせいかもしれない。
木洩れ日を伝ふごとくに初蝶来塚本照子
俳句を始めてから随分と年月が経ったが今でも初蝶に出くわした時の感動は毎年変わらない。小さな小動物が今年も健気に孵ったことの喜びでもある。
この句も、森の中の木漏れ日を嬉しそうに掬いとるように飛ぶ初蝶を見ての一句、白か黄かその初々しい翅の色が日の綺羅を浴びて美しい。
みな敵のごとく行き交ふマスクの瞳古郡瑛子
本来マスクは冬の季語であるが、新コロナウィルス感染騒ぎでもう四季を通じて通用する季語となりつつある。それだけ深刻な経過を辿っているということだ。湿度の高い梅雨、そして盛夏のなかで1億総国民がマスクをつけながら往来を行き交うその目に感情の起伏はうかがい知れないが、それがまたこの降ってわいたような一大事の不気味さを伝えているようでもある。
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