「晴耕集」12月号 感想                     柚口満  

酔芙蓉晩酌はもうやめました生江通子

 大胆な詠みかたにびっくりしたが、私にはなぜか心にひっかかるものがあり取り上げさせてもらった。晩酌とは辞書を引くと家庭で晩の食事の時に酒を飲むこと、又はその酒とある。
 しかし、掲句の場合はお酒そのものを飲むのをやめた、と受け取ったのである。お身体でも害されたのか、心配である。でも、さっぱりとした気性の通子さん、句には暗さはなく、夕方色づく酔芙蓉であるがお酒に未練はないという。季語の使い方に注目した。

厨より虫の余生を野に放つ杉阪大和

 この句の詠まんとした句意は大体次のようなものであろう。深まる秋の台所に1匹の虫が迷い込んできて彷徨していた。哀れを感じて窓から野に返してやった、というのである。
 しかしこれは私が勝手に解釈したものだ。作者はそんな甘い言葉は何も使わず中七に写生を越えた虫の余生という絶妙な言葉を把握してみせた。
 弱弱しい虫を凝視して得られたこのフレーズで一句は俄然引き立つこととなった。

かろやかに飛ぶ鉋屑秋うらら窪田明

 一読して気分の良い俳句である。少年時代近くに大工さんの仕事場があり、何とはなしにその作業を見ることがあった。
 あの鉋が木材を削る時の屑は時に応じて様々な様子を見せ子供ながらにびっくりしたものだ。ある時は薄い屑が途切れることなく宙に長々と舞い、また時には木材の色が美しく鉋から飛び出しその淡い色にすっかり虜になったものだ。
 作者も秋のうららのひと時、鉋屑の繰り出す魔法のような光景に見とれたのだろう。

知恵袋時をり開き生身魂沖山志朴

 お盆の行事はいうまでもなく故人の魂を供養することにあるが目上の父母や年長者を生身魂、生御魂として敬い物を献上したり饗応することがある。
 季語の本意は年長者への尊崇の念であるが、転じて生身魂の素晴らしさも合わせて詠まれる傾向がある。
 この句にあるような控え目でありながら無限の知恵を隠し持ち、出しゃばらず時折その博識ぶりを披露する生身魂、なんと魅力的な方だろう。生身魂の鑑のような人物像ではないか。

銀河濃し牛百頭の眠る牧鈴木志美恵

 春の季語に牧開き、晩秋の季語に牧閉す、があるがその間は牛や馬は放牧といって野外で好きな草を食み好きな場所を動き回れる。牛馬の管理者のご苦労は大変なものがあると思うが、放たれたものにとってはストレスのない快適な環境であろう。
 初秋の雄大な銀河のなかでそれぞれの気に入った寝床で眠りにつく多数の牛の群れ、美しくて壮大な一句である。

咲きて香を散りてなほ香を金木犀松谷富彦

 木犀の中でも特に金木犀はその色もあり人気のある花である。誰もが経験のあることであるが、町なかを歩いてくるとまずその甘い芳香に気づき辺りを見回して金木犀を探し出すのだ。
 咲き出しの頃の淡い香、そして地に散り敷きてからの濃い匂い、その変化を十分楽しめることも嬉しい。上五、中七にその辺りをうまく纏め上げ、流れるようなリズム感も気持ちいい。

唐突にしてゆつくりと一葉落つ𠮷村征子

 桐一葉の傍題に一葉落つ、がある。.種々秋の葉がある中で、一葉落ち天下の秋を知る、という中国の詩があるようにここでは桐の葉でなければならない。
 さて、掲句は上五で唐突に、と詠み始める。つまり桐の葉が枝から離れる瞬間を作者は目撃したのだ。そのあとはまるでスローモーションを見るように目線をゆっくりと地上へと移してゆく。その間の桐の葉の存在感。そして地上に落ちた時の喪失感がよく描写された。

指定席はボルガの此処ぞ盤水忌田野倉和世

 新宿の西口にある焼き鳥屋、ボルガは亡き先師、皆川盤水先生の行き付けのお店であった。私たちはことあるごとに1階奥の右隅の一角で打ち合わせを行った。爾来、先生亡きあとも先輩から教わったこの場所を偲んで会員が集まる。作者は此処ぞ、という席に座り偉大な師の忌を謹んで修されたのだ。

映画跳ねそぞろ歩きの良夜かな大西裕

 このような句に出会うとなぜか遥か昔にこんな感じの体験があったかなあ、と思うほどゆったりとした時の流れを覚えてしまう一句である。作者はどんな映画を、誰と見て良夜のなかを、それもそぞろ歩きを楽しんだのか。せちがらい殺伐としたこの世にあって、気の安らぐ一句に出会うのも嬉しい事だ。