韓の俳諧 (72) 文学博士 本郷民男
─ 亞浪の第二回旅行⑥─
1935年10月22日に臼田亞浪は念願の慶州(キョンジュ)を見ました。案内は美濃部禾舶(かはく)で、西村公鳳と石原沙人が随行しました。マイクロバスの天井に頭をぶつけたりしながら、まず新羅二十九代(661年没)武烈王陵に行きました。石碑の亀趺(きふ)と螭 首(ちしゅ)が残っています。
高貴な石碑を地面に直接置けないので、地と水の動物の代表である亀に載せます。それが亀趺です。天の動物の代表である龍を彫って上に載せるのが螭首です。螭首には「太宗武烈王」と書かれ、周囲に6頭の龍が絡んでいます。だから、碑がないものの、武烈王陵とわかるし、亀趺も螭首も盛唐を先取りした世界的な名作です。文京区湯島の麟祥院に春日局の亀趺があります。春日局・武烈王ともに墓碑でなく墓の参道に置く神道碑です。
亀趺の日に命あそばす冬の蠅 禾舶
次に鮑石亭(ほうせきてい、ポソクチョン)へ行きました。花崗岩を鮑形に並べて作られた曲水の宴の水路です。927年に景哀王が鮑石亭で宴を開いていた時に、後百済が攻め込んで来て王が殺され、8年後に新羅が滅亡する原因になったとされる場所です。
いにしへの新羅の落葉鳥が踏む 禾舶
次は鶏林(ケリム)へ行きました。新羅の王は、朴(パク)・昔(ソク)・金(キム)の三家から出ました。金氏の始祖閼智(アルチ)が降臨した場所です。この林の木の枝に金の箱が下がっていて白い鶏が鳴いていました。金の箱に子供が入っていたので姓を「金」とし、林の名を鶏林とし、国名を鶏林としたこともあります。
晝遊ぶ白鶏もがな草紅葉 亞浪
この辺りは王陵の祭祀を司る人々が住んでいるので、王村と呼ばれると亞浪が書いています。王陵の維持や管理に当たる家を陵戸と言って身分が一番低いのですが、逆に王の末裔で名門の慶州金氏の拠点です。
祭人の稲刈りに飛ぶ雲もなき 公鳳
秋風の土墻明りにひく木影 亞浪
近くには王宮の月城(ウォルソン)や天文台の瞻星臺(チョムソンデ)などがあります。亞浪は知識がないからと、平面が三日月形の丘になっている月城で、昔を偲びました。
丘すすき遠き昔の夢吹きつ 亞浪
瞻星臺秋の日うすき影を田に 公鳳
瞻星臺は切石で構成した精巧な石造物で、善徳(ソンドク)女王(在位632~647)の時に築造という記録があります。
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