鑑賞「現代の俳句」 (50) 望月澄子
干潟とふ揺りかご揺らす春の潮坂本宮尾〔パピルス〕
[俳壇 2025年3月号より]
「東京湾岸」と題した連作の1句。かつて東京湾岸には多くの干潟があったが、道路開発や住宅の建設による埋立てで次第に失われた。浅瀬では海苔の養殖も盛んだったが、その姿もあまり見られなくなった。干潟には沙蚕や蟹などの餌を求めて鴫や小鰺刺や千鳥などの野鳥がやってくるので、今や貴重である。潮干狩の時期になれば親子連れで賑わう。その干潟を「揺りかご」と表現した。干潟に少しずつ潮が満ちてきているようだ。ひた寄せる潮は、さしずめ揺りかごをやさしく揺らす母の手か微風だろう。干潟の小蟹や跳鯊は穴から眼だけ出したり這い出て水たまりに体を濡らしたり、また穴に戻ったりする。泥の中ではまだうつらうつらしているのもいるだろう。どこまでものんびりしたひとときだ。こんな豊かな自然が大都会にいつまでも残って欲しいものだ。揺りかごは平和の象徴のように思われた。
末黒野の灰締まりゆく雨ならむ森賀まり〔百鳥・静かな場所〕
[俳句 2025年3月号より]
野焼きをした後の野が、灰や燃え殻で一面黒ずんでいる。点火の前から村の消防団員が見守り、燃え尽きた後は畦に用意されたバケツの防火用水を撒く。さらに長靴を履いた男達が煙のくすぶる匂いの中を隈なく歩き、残り火がないか見て回る。そうこうしているうちに雨が降ってきたのだろう。草を燃やした後の灰はカリウムや石灰分を含み肥料となる。「灰締まりゆく」に雨で灰がゆっくり土に染み込んでいく様子が目に見えるようだ。草木にも人々にも恵みの雨である。末黒野はやがて若草の野になるだろう。
風信子三角屋根の家並かな髙橋千草〔壺〕 消息のとだえて久し風信子高橋将夫〔槐〕
[俳句四季 2025年3月号より]
四季吟詠選者による「季語を詠む 風信子」から2句。ヒヤシンスは地中海沿岸の原産で、オランダで改良された栽培種である。青紫や赤桃色や淡黄色があり、壺のような花の形も花壇に相応しい花だ。掲句はいずれも取り合わせで、それぞれ季語の特徴が生かされている。
髙橋千草氏の句からは、ヨーロッパのような街並みが目に浮かぶ。三角屋根の家並は北欧でも見られ、左右対称で幾何学模様の西洋庭園にヒヤシンスはよく植えられている。そんな明るい洒落た街だろう。
一方、高橋将夫氏の句は、風向きとか風の便りを意味する「風信子」という和名が効いている。ヒヤシンスを見ながら消息の絶えた人を思い出している。もう話題になることもなく、どうしているかを知るすべもない。「夜香蘭」の和名もあるように、風に乗る強い香りの中で、ある人を偲んでいる様子が窺われる。
鍵和田秞子先生
師の墓前坐して冬芽に囲まるる市村栄理〔秋麗・むさし野〕
[俳壇 2025年3月号より]
作者は第39回俳壇賞を受賞された。受賞第1作から1句。今は亡き先生の墓をお参りし、受賞を報告されたのだろう。先生に感謝を伝え色々とお話ししつつ、ふと見上げるとまわりの木々に冬芽がびっしりとある。間もなく膨らみ春になるだろう。掲句の次に「花柊やさしきこゑの小さくて」がある。柊の花の馥郁とした香りに気付き、先生の毅然とされた姿と優い語り口が蘇ったように思われた。
遠足の子の校帽をフリスビー森下秋露〔澤〕
[俳句 2025年3月号より]
遠足の昼ご飯を食べ終わった頃だろう。元気な子供達が野原で帽子をキャッチボールのように投げ合って、のびのびと遊んでいる。フリスビーはプラスチック製の円盤で、世界選手権のあるスポーツでもある。生徒達も案外真剣だったかもしれない。防衛大の卒業式典の後は一斉に制帽を投げて去っていくが、この子達はそうはいかない。草で少し汚れた帽子を被ってまた歩き出す。遠足のひと齣が楽しそうに描かれている。
登り窯の一の間二の間地虫出づ 沼尾將之〔橘〕
[俳句界 2025年3月号より]
ガス窯や電気窯が多く使われている現在、この登り窯は近代化産業の遺産として残されているか観光用で、長く使われていないようだ。窯口から傾斜に沿って焼成室があり、一番窯二番窯とか、一の間二の間と呼ぶようだ。掲句は「一の間二の間」という、まるで土間から続く部屋のようなイメージの言葉をうまく取り入れ、リズムも良い。啓蟄の頃地中にいた虫が巣穴から出てきた。窯口や薪を投入する為の小口から春の光が差し込み、虫にとって活動しやすい環境だろう。窯業が盛んな町に、陶磁器の好きな人達が訪れる季節をそろそろ迎える。
- 2025年5月●通巻550号
- 2025年4月●通巻549号
- 2025年3月●通巻548号
- 2025年2月●通巻547号
- 2025年1月●通巻546号
- 2024年12月●通巻545号
- 2024年11月●通巻544号
- 2024年10月●通巻543号
- 2024年9月●通巻542号
- 2024年8月●通巻541号
- 2024年7月●通巻540号
- 2024年6月●通巻539号
- 2024年5月●通巻538号
- 2024年4月●通巻537号
- 2024年3月●通巻536号
- 2024年2月●通巻535号
- 2024年1月●通巻534号
- 2023年12月●通巻533号
- 2023年11月●通巻532号
- 2023年10月●通巻531号
- 2023年9月●通巻530号
- 2023年8月●通巻529号
- 2023年7月●通巻528号
- 2023年6月●通巻527号