「耕人集」 9月号 感想                          高井美智子

茂雄逝く昭和百年夏の朝河田美好
  昭和の野球界を駆け抜けた長島茂雄氏が6月3日に亡くなられた。しかも今年は昭和年号で数えると100年となる。この歴史的な事実をしっかりと詠い込んでおり、切れ味の良い調べで記念になる句である。

青空を使ひ切れずに燕の子古屋美智子
  子燕は親燕を真似て飛ぶ訓練を行うが、羽根をばたつかせて必死である。空を使い切れず、狭い区域に限って訓練をする。親燕のように空を襷掛けに切るように飛べる日が待ち遠しい。

萍のつと離れてはまた元へ大塚紀美雄
  水田の萍の様子をよく観察した一物仕立ての句である。萍は静かに水田に浮かび、密集しているが互いに位置を譲り合っている。僅かな風に動いたその瞬時の様子を見事に詠い込んでいる。

銀ブラに似合はぬ日傘たたみたり荒井則子
  意気揚々と銀ブラを楽しんでいると、カラフルな最新のデザインの日傘が銀座を華やかにしていることに気づいた。自分の日傘はどこか銀座にそぐわないように思え、日傘をたたんでしまった。でも着こなしは素敵な私。銀座をゆっくり楽しもう。

丁寧にひと日をたたむ白木槿渋谷正子
  木槿は朝に開き、夜には萎んでしまうが、夕方になると徐々に花弁を折りたたむ。この様子を「丁寧にひと日をたたむ」と詩情豊かな言葉で言い表している。作者のひと日の過ごし方も推し量れる句である。

紙魚多き辞書ひく夫の独り言小田切祥子
  ご主人の愛用の辞書に紙魚が棲みついているようである。独り言をつぶやきながら夢中で何かを調べている。没頭しているご主人を見ている微笑ましい時間である。

逢坂の関への峠草いきれ山下善久
  逢坂の関は、近江(滋賀県)と山城(京都府)との境にある逢坂山の峠にある古代の関所である。〈これやこのゆくもかへるもわかれては知るも知らぬも逢坂の関〉という琵琶法師蟬丸(せみまる)の歌は、百人一首でよく知られている。草の覆い繁ったこの歴史ある峠を猛暑の中、登り切った作者のお手柄の句である。

癌告知他人事に聞く冷房裡木原洋子
  医者から淡々と癌であることを告げられ、引き続き詳しい説明を受けているが、衝撃が強く自分の事として受止められない状態である。まるで他人事のように医者の説明を聞いているが、強い冷房に体も悴んでくる。この事態を把握するには時間がかかる。家に帰ってから、ゆっくりと医者の説明を嚙み砕いたことだろう。