鑑賞「現代の俳句」 (59)            倉林美保                                                                                         

カザルスのチェロの遥かに鳥渡る笹本千賀子〔燕〕
[俳句 2025年12月号より]
 スペインのカタルーニャ地方で生まれたチェロ奏者カザルスは軍国主義になった祖国を批判し、平和を訴え続け生涯祖国に戻ることはなかった。
 その象徴が祖国の民謡の「鳥の歌」であり、彼のチェロは国連で人類の平和と自由への祈りをこめて奏でられた。
 今年も鳥が渡ってくる季節となった。渡り鳥の群れが平和と自由を求め、カザルスの旋律に合わせ、渡って来るように作者には思えたのである。「鳥渡る」とカザルスは俳句的には、いわゆるつきすぎとも思えたのだが、この句の場合はむしろ重なりが心に深く響く句となった。

信長は若き菊師の手に負へず森岡正作〔出航・沖〕
[俳句 2025年12月号より]
 菊花展に出品する「信長」を任された若い菊師が歴史上の圧倒的存在感の人物を表現するのに苦心している。
 経験が浅い菊師にとって「信長」を表現することはあまりに荷が重い。菊の大きさや色彩だけで、人物像を表現するには限界がある。誰もが知っている歴史的場面を切り取るなど工夫が必要になる。「手に負えず」と断定したのには、今回の作品が未熟だったのかもしれない。
 しかし、このような経験を積んだことにより、将来立派な菊師となるであろう。その出来栄えを見てみたい。   

稲架解いて杉の丸太に戻りけり岡崎桂子〔対岸〕
[俳壇 2025年12月号より]
 稲の収穫の象徴である稲架掛けの様子を捉えている。刈り取った稲を束ねて、稲架で乾燥させるのである。
 この稲架木が杉の丸太であった。地域により稲架木に使う木は色々とある。
 例えば新潟には榛の木を畔に植え竹の横棒をしつらえて稲架とするなど。
 従来は刈り取った稲を、稲架で天日に干していたが刈り取りから乾燥まで出来るコンバインの普及と共に稲架は、次第にその姿を消しつつあると言われる。稲架が並ぶ景色は、残しておきたい日本の原風景である。
 掲句はその稲架の役目を十分に果たし、1本の杉の丸太に戻った稲架棒に、慈しみの目を向けている。

励ましは不要となりぬ菊枕近藤伸子〔花鶏〕
[俳壇 2025年12月号より]
 「菊枕」とは菊の花を摘んで乾燥させて枕の中に入れたもの。
 使うと邪気を払い、頭痛を直し、目を明らかにする効能があるとされ長寿を願って贈ったりした。
 「励ましは不要となりぬ」とは病が癒えた安堵とも又は菊枕を贈った相手を失った寂しさとも解釈できる。
 使わなくなった「菊枕」はまだ十分香りを含んでいて、贈った相手の残り香も感じられ、秋の静けさに人恋しさを、いっそう感じたのである。

白芙蓉紙燭のごとし女人寺長橋すま子〔栴檀〕
[俳句四季 2025年12月号より]
 白芙蓉の花を紙燭にたとえ白い花の美しさと清らかさをより強調している。芙蓉は一日花とも言われ朝に開き夕方には閉じてしまう、そのはかなさを「紙燭」という仏前に供えられる灯火に例えている。
 「紙燭」は女人寺の役割を想像させ、白芙蓉と共に宗教的な光で女性を守り続けた女人寺を、いっそう強調させている。

行き止まりと偽の道標きのこ山細谷喨々〔一葦〕
[俳句界 2025年12月号より]
 今年は猛暑のせいか、山の幸である木の実などが不作となり、熊や猪などの動物が餌を求めて人里に下りてきて、大きな社会問題となった。
 掲句は危険な熊や動物が出るからではなく、松茸や他の茸や山の幸を他人から守るための手段と思われる。
 「偽の道標」は、自分自身の山への道順を知られないために敢えて偽の情報を立てたのである。
 特に松茸採りは、たとえ親子でも場所は教えないと言われるほど。ましてや他人であればなおさらの事。
 秋によく見かける「山止め」の看板も同じように山の産物を採られないことを願って地主が設えたものであり、人間の知恵に驚くとともに納得もできる。

みづうみは星の器や狐罠伊藤幹哲〔馬醉木〕
[俳句界 2025年12月号より]
 湖を「星の器」としてとらえた。夜の湖面が星をたたえている幻想的な美しい景色が想像される。
 一方この景色も「狐罠」と言う今では少なくなった、またぎの現実の暮らしを想像すると、なぜ「狐罠」でなければならなかったかが理解できる気がする。
 なぜなら、狐は他の動物とは違い、民話や稲荷信仰などで、古くから人間との係り合いの深い、霊的な存在の動物であるから。
 この句の「星の器」と「狐罠」の取り合わせは、神秘的な景色と現実的な暮らしとの象徴が自然の中に溶け込んでいて、不思議と心に残る句になった。