鑑賞「現代の俳句」 (60)            沖山志朴

福笑整ひゐしはすぐ壊し野中亮介〔花鶏〕
[俳壇 2026年1月号より]
 福笑が誕生したのは、江戸時代の後期。正月の遊びとして定着したのは、明治時代とのこと。日本には、新年に大いに笑って一年の福を呼び込み、安寧を願う、という習わしがある。福笑が伝統的な正月の遊びとして普及した背景には、このような日本古来の習わしが影響しているといえよう。おかめひょっとこ等の縁起物を素材にしてゲーム感覚で大いに笑い、1年の福を呼び込もうとしてきたのである。
 目隠しをして、目、鼻、口などのパーツを置いていくのであるが、その顔立ちが整いすぎていたのでは、笑いは起こらず、すぐにパーツはばらばらに壊される。いわゆる「変顔」であってこそ、そこに笑いが起こり、心が和み、福がもたらされるのである。省略の効いた俳諧味溢れる楽しい句である。

天地へ声太々と初鴉足立あんな〔鶴〕
[俳壇 2026年1月号より]
 目にした初鴉、空の高みや大地の果てまでも響くような力強く、そして太い声で鳴いている。何とも目出度い立派な鴉ではないか。これは神からの瑞兆に違いない。近年、戦争や自然災害など忌まわしい出来事が続いている地球ではあるが、今年はいい年になるぞ、そんな作者のつぶやきが聞こえてきそうな句である。
 今日、鴉は害鳥として嫌われることが多い。しかし、古くは八咫烏などのように、神の意思を伝える「導き神使」等瑞鳥として喜ばれることが多かった。知能の高い鴉、何らかの情報交換を仲間内でしているのであろう。「声太々と」に作者の感銘が強く表現されている。

まつさらな明日を得るため日記買ふ中村かりん〔玉藻〕
[俳句四季 2026年1月号より]
 日記を書く目的は、人によってまちまちである。例えば、出来事を忘れないために、表現力を向上させるために等々。掲句の作者は、「まつさらな明日を得るため」に日記を買って記すのだという。
 未来は、必ずしも幸せな良いことばかりではないであろう。思わぬ事故にあったり、病に倒れたり、自然災害に苦しんだりと、不安は尽きない。しかし、何が起きるかわからない人生ではあるが、夢や希望を持って、また新しい自らの世界や人生を力強く切り拓いていこう、そんな強い決意を漲らせている句である。前向きで意欲に満ちた句であると感銘を受けた。

モンゴルは空の国なり星月夜太田かほり〔郭公 航 むさし野 浮野
[俳句四季 2026年1月号より]
 掲句はモンゴルでの旅吟。星月夜とは、星明かりで月夜のように明るい夜空の状態を言う。「空の国」という比喩が的を射ていて巧みでわかりやすい。
 草原のかなたまで広がる夜空。その広大な空一面を覆いつくす星々の光。それは明るくて、今にも地上に降ってきそうなほど。視界を遮る高い建物があるわけでなし、また、激しく往来する車の光やエンジン音がするわけでもない。静謐で雄大な世界。作者は静かにその神秘の世界へと吸い込まれてゆく。そして、このような純粋な自然が残されていることに驚異を感じつつ宇宙の星々に静かに融合してゆく。

初夢に匪賊の怒声鳴り響く大串章〔百鳥〕
[俳句 2026年1月号より]
 第二次大戦後、満州などでは終戦後の混乱、ソ連軍の侵攻、匪賊の横行などにより、日本人に多くの犠牲者が出た。生き残った人たちは、食うや食わずの厳しい状況の中、命からがら引き揚げてきた。その数は、約110万人とも言われる。作者も、極貧の生活の後、想像を絶する苦労をしながら、なんとか満州から博多港へ引き揚げて来たという。
 戦後80年余り経つ。社会は豊かになった。しかし、今もって作者の心の中には、戦争の深い傷跡が癒えることなく残っている。そして、いまだに初夢にまで匪賊の横暴な振る舞いを見るという。人々を不幸のどん底に突き落とす戦争。今も不幸なことに絶えない戦争。平和であることの尊さを説く。

猟犬の何度かはつとして何も加藤かな文〔家〕
[俳句界 2026年1月号より]
 場所は、冬の山中。何頭かの犬を先頭にして、複数の狩人がそのあとに続く。急に犬が立ち止まり、耳を立ててあたりの気配を窺う。熊か猪かと狩人たちも銃を手に身構える。緊張が走る。しかし、獲物の気配は感じられず、やがて犬たちも静かにまた歩き始める。そんなことが何度か続く。
 「何度か」「何も」と、句中に何という字が繰り返して使用されている。「何も」のあとには「起こらない」という言葉が省略されている。この二語が何かが今にも起こりそうな気配を濃密なものにしていて効果的である。実にリアル感のある句である。