「耕人集」 4月号 感想  沖山吉和

船待ちの俊寬想ふ春嵐丸山はるお

 能や浄瑠璃でおなじみの俊寬僧都。平家打倒を企てるが捕らえられ、安元三年に平康頼らとともに薩摩の鬼界ケ島に流罪となった。翌年の赦免でも俊寬一人だけは許されず、浜辺で船に縋るものの振り払われ浜辺にとり残される。やがて赦免の船は沖に消えてゆく。
 風の強い日、作者はふと俊寬のことを思い出した。来る日も来る日も浜に出ては赦免の船を待っていた俊寬。その心中の孤独を思うと哀切なるものがある。歴史に素材を取りながら、質感のある句にまとめている。

瑠璃の音たててきしめり霜柱安奈朝

 霜柱の崩れる様子を「瑠璃の音」という隠喩で表現したところが作者の感性の素晴らしさである。早朝の舗装されていない道路。人が歩くたびに牙をむくような霜柱が、高い音を立てて崩れてゆく様子を色彩で喩えている。
 瑠璃色は、紫を帯びた紺色である。凛と引き緊まった霜柱が崩れる高い音、それを瑠璃の音と表現している。この視覚と聴覚とを融合させた表現が掲句を密度の濃い作品にしている。
ひとところ鳥の賑はひ日脚伸ぶ横山澄子

 取り合わせの句であるが、上五の「ひとところ」が効いている。仮に「あちこちに」とすると季語の「日脚伸ぶ」と即きすぎになる。「ひとところ」とすることによって春の兆しが見えてきたという意味合いが込められ、季語が生き生きしてくるのである。
 この時期、雀も群れて賑やかに鳴き交わす光景が見られる。また、四十雀は日照時間に敏感に反応し、短く囀ったり鳴き交わしたりしながら群で移動する。さらに、目白なども早咲きの椿などに鳴き交わしつつ群れる。いずれの小鳥であっても、わずかな日脚の伸び
に敏感に反応する。作者はそれを察知している。

茅葺きの琥珀色なる軒氷柱鳥羽サチイ

 鷹羽狩行に「みちのくの星入り氷柱吾に呉れよ」というよく知られた句がある。この句に代表されるように、氷柱の句の多くは透明で美しいそれを対象として詠まれている。しかし、掲句はあえて煤で琥珀色となった氷柱を詠っている。読者はおそらくこの作者の新鮮な感覚に注意を惹かれたことであろう。
 作者はおやっと思ったことを素直に表現している。それが発見につながっている。美しい景観だけを詠うのが俳句ではない。伝統を踏まえつつ、様々な素材や分野に新鮮な感覚で挑戦することが、自らの句の領域を広げる。また、一人一人のそのような努力が、俳句 の可能性を広げ、ひいては俳句をさらに奥深い文芸へと発展させるのである。

波の花飛ぶや難所の七曲り本間ひとみ

 「オロシヤより風吹きつのる波の花」という句が春耕の同じ佐渡の同人、池野よしえさんにある。波の花は日本海側で冬の寒い時期に見られる。荒波に揉まれた海中の植物性プランクトンの粘液が、白い泡を作って生成すると言われている。
 七曲りは、今では道路も整備され、景色の美しい場所として知られているが、かつては小曲の多い難所として恐れられていたようである。そのかつての難所に波の花が強い風に煽られて盛んに飛んでくるが、この道を往来した昔の人は大変な思いをしたことであろう、という句意である。 間投助詞である「や」を含む句またがりとなってのやや破調の中七であるが、固有名詞をうまく生かしながら、佐渡の人ならではの個性的な作品にまとめた。

荒れし夜のおでん煮えたる匂ひかな寒河江靖子

 今冬は北陸や東北地方も例年以上に吹雪の回数が多かったようである。一旦荒れ出すと人々は不自由な生活を余儀なくされる。吹雪の夜は早めに帰宅し、夜も外出を控え、静かに嵐が去るのを待つのみである。
  「荒れし夜」という自然の猛威と、おでんの煮えた匂いという温かい人工物。この対照的な二物の配合が、家族の温もりを際立たせる。ぐつぐつと時間をかけて煮込んだおでん。それを居間にいる家族が待っている。ふぶく音をよそに、おでんを囲んで語らう家族の夕餉の温もりが伝わってくる。

抱きあやす子の芳しき良寛忌日浦景子

 良寛忌は陰暦一月六日。良寛は諸国を長い間行脚した後、故郷の国上山の五合庵などに暮らし、村の子供たちと親しむという脱俗的な生活を送った。
 作者は泣いている赤ちゃんを抱いてあやしている。あやすたびに、芳しい香りが漂ってくるというのである。その母乳やベビーパウダーの入り混じった芳しい香りが、何ともいえぬ懐かしさを誘う。赤ちゃんの香りと、良寛のイメージとが、即かず離れずの関係にあり季語を生かしている。
暮早し隣も前も人住まず雨森廣光

 近年、急激に空き家や廃墟が増え、地域によっては深刻な事態にまで発展している。掲句は、作者のお住まいの近隣の状況なのであろうか。かつては空き家などなく、子供たちの元気に遊ぶ声が、露地から溢れていたのであろうに。
 「暮早し」は冬の季語。空き家が増えて静まりかえった周囲の状況に、日暮れも一段と早まったように感じられる、という心象句である。急激に変わってゆく日本の社会を象徴しているような句である。具象を通して、作者の寂しい心中が表現されている叙情句である。

般若湯話題のつきぬ女正月田中せつ子

 「般若湯」は僧の隠語で酒のことである。この隠語をうまく生かしている。仮に上五を「酌む酒に」とでもしたらどうであろうか。品のない平凡な句で終わってしまうことに気づくであろう。隠語の使用が季語の「女正月」をうまく生かしているのである。ここに作者の感性の素晴らしさを感じる。
 普段家族のために忙しくし、苦労も多い奥様方。たまには女性同士で息抜きをし、普段言えないような話題に花を咲かせたり、愚痴をこぼしたりしたいであろう。今日は女正月である。場の解放感や明るさが伝わってくる安堵感の感じられる句である。

露天湯の湯口滾々注連飾る藤井達男

 滾滾(こんこん)は、渾渾、混混とも表記し、水が盛んに流れてつきない様子である。湯口から豊富に湯の出続けている源泉なのであろう。
 注連飾りを取り付けているのは作者なのであろうか。あるいは地域の人なのか。いずれにせよ、昔から湯量が豊富で土地の人たちが入れ替わり立ち替わり使っている、地域にとって大切な露天湯なのであろう。大地や自然の恵み、また神に感謝する気持ちが伝わってくる。言葉に弛みのない句である。

はやわざの男結びや雪囲佐藤照子

 豪雪地帯での雪囲は、かつては板や藁、葦などを使用していたが、近年ではトタンやプラスチック製の板を利用する工夫もなされているようである。いずれにせよ力の要る困難な作業であるだけに、多くは男の人がそれを担ってきた。
 毎年のことであろうが、作者はその作業の手際の良さに感心しながら眺めている。その一方で、今年もまた厳しい冬がくるぞという覚悟もしているのである。雪国の人ならではの佳句である。