「耕人集」 2月号 感想 髙井美智子
武骨なる手より生まるる干し寒天中村岷子
長野の諏訪地方などでは、極寒の3ケ月間が寒天作りの最盛期である。洗いあげた天草を夜を徹して大釜で煮込み、解けた天草を漉し、小分けに箱に流し込み、凍てつく小屋の棚で一気に冷やす。
この箱に流した生寒天を山風の吹き晒す寒天干し場で角寒天の形に切り、葦の簾の上に広げ干す。ぎこちない男衆の大きな手から生寒天が滑り出るこの一瞬を活写した句である。この瞬時を「武骨なる手より生まるる」と作者の鋭い感性でとらえた即物具象の一句である。
山道を転げるやうに冬茜岩﨑のぞみ
登山を楽しんだ作者は頂上で冬茜の美しさに見とれるのもつかの間、下山を急がねばと気が急いている。スピードを上げて下っている作者は かなり健脚である。山道を照らす冬茜の変化をとらえて、中七の「転げるやうに」という動きのある思い切った措辞で言い表わし、臨場感の溢れる句となった。また、山々に映る冬茜の刻々と変化する景にまで想像が膨らんでくる。
「冬茜」の季語を用いたことにより、山を去りがたい作者の気持ちが伝わってくる。
枯蓮のざん悔のやうな姿かな千野弘枝
枯蓮を写生し「ざん悔のやうな」と深めたところに独自性がある。「ざん悔」の措辞により、作者の内面の心理まで見えてくるようだ。首を垂れた枯蓮を見て、作者の心の隅にあった「ざん悔」の気持ちが呼び覚まされたのかもしれない。
考えてみれば、人は気づかぬうちに言い訳をつけて、自分を肯定して生きているのかもしれない。自分自身に真っ直ぐに向き合おうとしている姿勢まで見えてくるようだ。
魯山人の皿に盛りたる鰤大根飯田千代子
北大路魯山人は篆刻家、画家、陶芸家、書道家、料理家、美食家などの様々な顔を持ち大正から昭和にかけて活躍した。魯山人お薦めの料亭で出された皿か又はご自宅で大切にしている皿であるのかもしれない。柔らかく煮詰まった鰤大根に舌鼓を打っている様子が彷彿としてくる。作者の確かな審美眼から生まれた一句と言える。
蟇目良雨主宰は鰤大根が大層お好みで、ご自分で調理をし昆布も蕩けるほど煮込み、煮凝りの妙も楽しまれるとのことだ。
凩に飛ぶやピエロのつけ睫毛高橋栄
凩の吹く中をふらりと散歩を楽しんでいると、大道芸のピエロに出くわした。凩にピエロの睫毛が飛んでしまった滑稽な景を捉え、俳諧味に溢れた見事な一句に詠いあげている。ピエロの慌てふためく様が芸に拍車をかけ、観客も笑い転げたことであろう。
人の営みを楽しみながら、心に余裕を持って日常を送っている作者の姿が窺える。
にぎやかに妻の客来て冬至粥岩朱夏
冬至粥は、小豆粥などを竈の埋火でとろとろと一日中煮る。奥さんの客が漬物などを持ち寄り、 外釜の大鍋で冬至粥を煮込んでいるのであろうか。作者はその賑わいを聞きながら、粥が出来あがるのを心待ちしているようだ。
皆川盤水句集『曉紅』(平成七年)に〈妻の客ばかり来る日や春障子〉の句がある。どちらの句も夫の出る幕ではないと心得ておられ、微笑ましい一景である。
退職の夫にも勤労感謝の日船越嘉代子
勤労感謝はおもに現役で働いている人に対しての休日である。退職をされたご主人は察するところ、お元気で趣味や庭の手入れや孫の世話など忙しく動いておられるようだ。その働き具合に感謝の気持ちを素直に表した俳句である。
なるほどこんな勤労感謝もあるものだ。なにごとも考え方次第で生活が豊かになる。夜には感謝の熱燗を出されたことだろう。
うそ寒や鴉の鳴いて真夜の地震小島利子
最近の地震は日本列島を縦断し、南海トラフ地震がいよいよ到来かと頭を過る。
真夜中の地震は、塒でぐっすりと眠っている鴉を驚かせてしまった。得体の知れない地震の不安が鴉の鳴き声で一層強まった。
夜に鳴く鴉の貴重な体験を類を見ない一句として仕あげることに成功している。「うそ寒」の季語が中七から下五にかけての表現と絶妙に響き合っている。
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