「耕人集」 9月号 感想                          高井美智子 

虎尾草の手招くごとく戦ぎけり渡辺牧士

 虎尾草は山のなだらかな斜面などに群生している。花の穂は弧を描くように俯き、風に靡いているように見える。この様を「手招くごとく」と作者独自の感性でとらえたところが素晴らしい。

昼寝覚今亡き人と旅をして島﨑芙美子

 心地よい昼寝から覚めた作者は、夢の中で今は亡き人と旅をしていた。こんな素敵な夢が現実であってほしいと、夢を繰り返し思い起こしているようだ。「今亡き人」とは、作者とどのような関係の方なのだろうかと想像を搔き立てられる。                                   

蛍狩定年の父先頭に山本由芙子

 定年になったお父さんは、身も心も開放感に満ちている。今までは残業などで、蛍狩りをする余裕もなかった。少年のような気持ちになっているお父さんが、孫達を率いて蛍を追いかけているようだ。お父さんを労う優しい気持ちが窺える。   

マラソンの列歪みゆく酷暑かな木原洋子

 今年は異常な猛暑だったので、マラソンはとても過酷であった。炎天下で、走者の足がふらついたり、走るリズムが乱れたりした。「列歪みゆく」の表現は臨場感があり、「酷暑」の季語とよく響き合っている。 

白靴も黒靴と化し旅終へる鈴木ルリ子

 同時作に「雪残る羊蹄山の逆さ富士」を詠われておられるので、松山から北海道の羊蹄山への遠出の旅であったようだ。羊蹄山を逆さに映す池へ辿り着くには、径も悪く白靴も黒靴と化してしまったようである。白と黒の単純な色の表現により俳諧味のある句となった。

一歳の汗だくだくと餅背負ふ岩﨑のぞみ

 歩き始めたばかりの1歳の誕生日を祝い、円い一升餅を背負わせ、健やかな成長を祈る伝統行事の景である。よちよちと歩く1歳児にとって、一升餅は重すぎるが、何しろ御祝いなので皆で囃し立てる。「汗だくだくと」のオノマトペから、暑さと餅の重さを受止めて必死で一歩一歩進んでいる様子が浮かぶ。この1歳児は辛抱強く頑張り屋のようで、将来が楽しみである。 

朝練の声を乗せ来る青田波古屋美智子

 広い田圃の中にある学校の景色が髣髴としてくる。中学生になると野球部などの朝練がある。青田は山からの風に波のようにうねる。上五から中七の「朝練の声を乗せ来る」の捉え方が秀逸であり、まるで青田波に乗っているような調べである。朝練の若者の声は清々しい。 

飛島の腰の効きたる心太佐藤照子

 飛島は山形県の離島で、酒田港から船で約1時間30分の日本海に浮かぶ小さな島である。飛島の海で採れた天草をドロドロに煮込み、その汁を昔ながらの製法で常温でゆっくりと固め、心太突きで細く突き出すと心太となる。飛島の新鮮な心太は、海の匂いがたっぷりで腰が効いていて、思いのほか美味しかったのだろう。腰が効いていることが心太の美味しさの秘訣なのだとこの句で教えられた。

芭蕉布やおばあの着れば神めきて上原求道

 芭蕉布の原料となる糸芭蕉は3年ほどで大きくなり、やっと採取可能な状態になる。1反の布を織るには200本の糸芭蕉が必要であるとのこと。軽くて薄く、沖縄の夏には最適である。
 沖縄の方言で「おばあちゃん」を「おばあ」と言う。おばあが手の込んだ見事な芭蕉布の着物に袖を通すと雰囲気ががらりとかわり神めいてきた。おばあのどっしりとした落ち着きが神様のように見えた。年長者を敬う沖縄の貴重な一句である。

秋空へ秕(しいな)をとばす唐箕(とうみ)口高橋ヨシ

 唐箕とは、風力を起こして穀物を籾殻・玄米・塵などに選別するための農具であり、昭和30年位までは使用されていた。秕とはこの分別した籾殻のことで軽い。今も唐箕を使っているとは驚きであるが、狭い山田などの稲の選別には丁度良い。唐箕の風力で庭一杯に秕をとばすが、家族総出で仕事を分担し休むことなく進める。上五の「秋空へ」の季語によって、秕の広がりや収穫の喜びが伝わってくる。

豆飯の香を吹き零すおくどさん山下善久

 竈(かまど)を関西では「くど」と読み、「おくどさん」と言っている。農家の人達は生活を支えてくれるものに感謝と親しみを込めて「お・・・さん」と呼んでいる。その他には「お蚕さん」「お天道(てんと) さん」などがある。掲句は今も残っている旧家の竈で豆飯を焚いている景であろう。薪の火の勢いで、湯気を吹き零している。これを研ぎ澄まされた作者の臭覚で豆飯の香りを吹き零していると感じたことが発見である。