「耕人集」 10月号 感想                          高井美智子 

手探りの目印となり花茗荷花枝茂子

 茗荷の根元は薄暗く屈み込んでも見つけづらい。真っ白な花茗荷を目印にすると簡単に探り当てることができた。省略の利いた洗練された表現により、花茗荷の真っ白な輝きが感じられる作品である。笊に盛った茗荷は、不思議なことに笊の中でも新しい花を咲かせる。

首里城の瓦葺き初む蟬時雨玉城玉常

 首里城は令和元年10月31日未明に、正殿内部から火災が発生し約11時間にわたり燃えた。首里城の再建工事が進んでおり、瓦も葺き初めたようである。蟬時雨の季語により、首里城を囲む木立や、炎天下で汗をかきながら一枚一枚の瓦を葺いている宮大工の様子が想像できる。季語の力を十分に発揮した一句である。                                   

城跡の濠も波立つ蟬しぐれ中谷緒和

 この城跡は何百年もの古木が立ち並び、歩いていると頭上から蟬時雨が降りかかってくるようだ。松の枝が濠へと伸びているそのあたりは、蟬時雨で濠が波立つように見えた。聴覚と視覚を巧みに使い、濠が波立っているのを見逃さなかった作者である。   

繕ひし言葉を返す晩夏かな青木典子

 今年は晩夏を迎えても暑さは異常であった。お出かけの誘いがあったようだが、暑さと気だるさで出かける気になれない。断りの言葉を探しながら言い繕っているようである。読み手により様々な情景が膨らんでくる句である。 

山道のだれも気づかぬ落し文中嶋正樹

 落し文とは甲虫が栗や檪などの葉を巻いて卵を産み付けたものである。山道で行き交う登山者は、大方は一定のリズムを崩さずに登り降りに夢中であったり、又鳥の声や草花に気を取られている。地上に落ちた落し文にだれも気づかぬようである。面白い切り口から季語の「落し文」を捉えている。

孑孑や雨一滴に捩りだす金澤八寿子

 孑孑がゆるやかに泳いでいるのを見ていた作者。雨が降りだしたその一滴に孑孑の動きが変わったのだ。この一瞬を捉え、孑孑の動きを「捩りだす」と観察した根気力に拍手を送りたい。 

曲屋の土間ひつそりと昼の虫今江ツル子

 曲り家は岩手県の遠野ふるさと村等に今も保存されている。母屋と厩(馬屋)がL字形に一体化していることから曲屋と呼ばれる。曲屋のひっそりとした薄暗い土間に、ちちろが潜んでいたようだ。曲屋の有り様を詠いあげた旅行先の嘱目句で、思い出に残る一句となった。 

夏木立苔むす墓所に志士眠る髙梨秀子

 鶴岡にお住いの作者の近くの庄内で生まれた清河八郎は、桜田門外の変の1ヶ月前に尊皇攘夷の「虎尾の会」を結成した志士である。八郎は、志半ばで幕府の刺客に暗殺され、山形県東田川郡庄内町清川の歓喜寺に埋葬されている。苔むす墓所を訪ねた作者の思いが「志士眠る」の下五に表わされている。八郎の無念の気持ちを思い「安らかに眠ってください」と祈っているようだ。夏木立が墓所を見守っている。

手花火の雫の揺れに息を止め酒井杏子

 手花火の中でも、線香花火は侘び寂びの世界観があり、その素朴な光に魅了される。最終段階になると手花火の雫の揺れ具合に目が離せなくなった。息を止めて最後の手花火の雫を見届ける。「手花火の雫」や「息を止め」の措辞に臨場感があり、抒情の溢れる秀句となった。

補聴器を外し安らぐ夕端居完戸澄子

 補聴器は雑音が入り、集中しなければ聞き取れないこともある。外出先では、補聴器を付けても聞き漏らすまいと緊張をする。夕端居の時は補聴器を外し、全ての煩わしさから解放されたひとときを楽しんでいる。夕端居の季語を用い、補聴器を素材にした類想のない俳句である。

全天をグランドにして雷走る石川敏子

 雷はごろごろと鳴り響きながら、全天を縦横に駆け廻る。その足音が地上にまで響き渡る。この全天をグラウンドと見立てたところが、ユニークである。雲の上の空のグラウンドを覗きたくなってくる。 

摩滅せる板碑梵字や青蜥蜴佐々木加代子

 板碑とは、鎌倉時代から戦国時代にかけて、日本全国に立てられた石の供養塔である。最古の板碑は埼玉県熊谷市にある板碑で、紀年銘は嘉禄3年(1227年)である。板碑は全国で約7万基が確認されており、戦国期以降になると、急激に廃れ、板碑は廃棄されたり用水路の蓋などに転用されたものもある。
 掲句の板碑の梵字も摩滅してしまった。青蜥蜴の季語により、古い板碑の謎を増幅させている。