「耕人集」 12月号 感想                          高井美智子 

秋の蝶穂先にとまり風まかせ大塚紀美雄

 少し弱々しくなった秋の蝶が、穂先に休んでいる。穂先の風に抗うこともなく揺れている。これから寒さも厳しくなってくるが、翅に力がなくなった蝶の行く末はどうなるのかと心配になる。力みのない自然体の句である。

秋草も供花とし風の道祖神日浦景子

 野道をのんびりと歩いていると道祖神に出会った。辺りに咲いている秋草を手折り、供花とした優しい心に感動した。「風の道祖神」と詩情溢れる語彙を生み出したことも見事である。                                   

ぼこぼこと湧き水澄めるアンヌプリ村上啓子

 ニセコアンヌプリは、北海道のニセコ積丹小樽海岸国定公園内にある標高1308.2メートルの山で、ニセコ連峰の主峰であり、アンヌプリとも言われている。アンヌプリ山に降り注いだ雨と雪がゆっくり濾過されて湧き水となっている。
 上五の「ぼこぼこと」の措辞により豊かな湧き水が想像でき、雄大なアンヌプリの恵みが感じられる一句である。   

猪おどしに慣れて田圃の群雀渡辺牧士

 稲田には群雀が意気揚々と飛んでくる。偽物の大きな鴉などを田圃に吊し威嚇しているが、賢い雀たちに見破られてしまうようである。最近の猪おどしは、赤外線センサーで動きを感知して光と超音波で害獣を撃退させる方法や何種類かの威嚇音で撃退する方法など、その技術は進んでいる。
 雀も頭脳明晰で、同じ猪おどしにやがては慣れてしまう。農家の人達は、更にレベルの高い猪おどしで対抗するのである。農家の人達の努力と群雀とのしのぎ合いを鋭く観察し、生まれた作品である。 

あたたかき母の訛と菊膾結城光吉

 作者がお住まいの山形の名産である食用菊で作る菊膾は、お母さんの得意料理の一つである。菊膾は黄色や紫など色鮮やかである。ゆったりと話しかけてくるお母さんの山形弁の訛が、とてもあたたかく心に浸み入る作品である。

居ぬ夫の席整へて月を待つ寒河江靖子

 ご主人がご存命の時は、毎年2人で並んで月見をしていた。亡くなったご主人の座として座布団を敷き、月を待っている。1人でいながら、心の中は2人でいる静かな月見である。 

向日葵の道が大好き縄電車石橋紀美子

 縄電車は縄の端と端を結んで大きな輪にし、 輪っかの中に子ども達がはいる。先頭の子が運転手、最後尾の子が車掌さんになり、電車になりきって進行する遊びである。運転手は大好きな向日葵の道をメインコースとしている。コースを変更しても向日葵の道は必ず通るようだ。子ども達の夢をのせた縄電車。出発進行! 

秋風や竹林さやぐ蘆花旧居原馬秀子

 東京の世田谷の「芦花公園」に徳冨蘆花の旧居「芦花恒春園」がある。蘆花はこの地でトルストイの影響による半農生活を送り広い畑を耕した。文壇と離れて、死去するまでの20年間をここで過ごした。一角に竹林があるが、中七の「竹林さやぐ」の表現で、蘆花に思いを馳せている様子が髣髴としてくる。

高原の風を連れ来る芒売り河内正孝

 芒売りは、昔は十五夜近くになると路地裏をリヤカーで練り歩いていたようだが、今は芒は花屋で売られている。
 又、東京都豊島区雑司ヶ谷の鬼子母神の「すすきみみずく」は有名であり、芒も売られている。武蔵野の山里に生育する芒の穂を刈り集めて作られ、安産や子育て等の守りになるとして、江戸後期のころより親しまれてきた。達磨型の芒のみみずくは、穂のやわらかな質感と手の技が感じられ愛らしい玩具である。私の三畳のアパートに長い間飾っていたことが懐かしく思い出された。
 「高原の風を連れ来る」の措辞が見事で、景が広がり、自然への敬意が感じとれる。

発掘の指にひやりと秋の土岩﨑のぞみ

 発掘調査をしている臨場感に溢れた句である。発掘調査は土との地道な戦いであり、手にする土の感覚を敏感に感じとっている。秋の朝の土はひやりと感じたのである。この瞬間を詠みあげた感性豊かな嘱目吟である。

無花果の割れ目大口日ざし満つ金澤八寿子

 無花果は割れ目が少し開いた時が最も美味しい。これを逃すと大きく弾けて、芳醇な香りがあたりに満ちてくる。これを「割れ目大口」と大胆に詠いあげ、今にも零れ落ちそうな無花果が描き出されている。