「耕人集」 1月号 感想                          高井美智子 

穂に倣ひ頭を垂るる案山子かな菱山郁朗

 最初はしっかりと前を見つめていた案山子も雨風に晒され、とうとう頭をうなだれてしまった。情けない案山子の姿を稲穂が垂れているのを倣っているのだと擬人化し、俳諧味のある句となった。

鶸鳴くや岩突兀と昇仙峡加藤くるみ

 日本に渡ってきた鶸は、群をなし喜びの声をあげながら飛び廻る。まるで昨年の場所を覚えているかのように、昇仙峡の谷を飛び交っている。中七の「岩突兀」の表現が昇仙峡の切り立った岩の様子を絶妙に言い当てている。                                   

冬の霧中にくぐもる鳥の声伊藤一花

 冬の霧の中から鳥の声が聞こえてきた。くぐもるの措辞が霧の深さを表している。
 この句を読んで、もしや霧の中が暖かいのではないかと思い調べてみた。霧は空気の温度が下がって、水蒸気が小さな水滴となったものである。水滴に変化する時に水蒸気から放出される潜熱が、気温を上げるために霧の中は生暖かくなるそうである。
 寒い冬に霧が発生すると、鳥たちは暖かい霧の中に潜るようである。霧の中は外敵からも守ってくれる絶好の隠れ家であるようだ。   

秋の蝶日を惜しむごと畑に舞ふ谷内田竹子

 秋の蝶は翅の動きが緩やかで舞っているように見える。蝶が短い秋の日を惜しむかのように畑から畑へと移る様を髣髴とさせる。 

籾殻の煙にむせ込む来訪者山本由芙子

 籾殻を焼き始めると、炎は上がらず、一日中煙が渋り続ける。風向きによっては、民家の戸口まで煙が漂ってくる。来訪者が「煙にむせ込む」一瞬を切り取った臨場感の溢れる一句である。広々とした田園の中にある民家の長閑な生活の一齣である。

小春日や補助輪外す子にエール斉藤文々

 省略を効かせた表現に作者の洗練された作句力が窺え、景がしっかりと見えてくる巧みな表現である。
 補助輪を外すと滑り出す時はとても不安で、右に左によたよたと進む。思わず、作者も大きな声でエールを送った。 

角伐を逃れし鹿の寄り合へる澄田いづみ

 角伐は「鹿の角きり」のことであり、江戸時代から350年にわたり、鹿と奈良の人々との共生の中で受け継がれている春日大社の古式豊かな神鹿の角を切る伝統行事である。10月頃牡鹿は交尾期に入り、気性が荒くなる。観光客に危害を加えたり、樹木を荒らしたりするので角を切る。柵に鹿を追い込み、勢子が追いかけて捕らえ、神官が鋸で挽く。
 角伐を逃れた鹿が寄り添っている景に焦点をあて、鹿の心情までもが伝わってくる。作者の優しさが垣間見られる作品である。 

地下足袋の縁にずらりとゐのこづち宮島幹治

 地下足袋の素材により、杣人だろうか、山の工事現場だろうか等と想像が膨らむ。藪から出て来た地下足袋に「ゐのこづち」がぎっしりとくっついていた。「縁にずらりと」の表現がユニークである。

夕日影子らと戯る雪ばんば村上啓子

 雪ばんばは雪蛍とも言われている。夕方になると、どこからともなく出て来て、なぜが人の温もりに近づいてくる。子ども達のまわりに雪ばんばが飛んでいる。雪ばんばを追いかけ、雪ばんばに逃げられている様を、戯れているように見えたとした観察力が素晴らしい。

秋の浜傘寿の影をひとり踏む玉城玉常

 傘寿を迎えるという人生の重さを感じさせる一句である。ご自分に向き合い、砂浜に移った影を一歩一歩踏みしめている。来し方を思い巡らしていると、様々な思いがつのる。蒼い海を眺めながら、心身共に健康な傘寿を迎えている喜びも感じられる。

鵙の声尖りて朝の石切場河内正孝

 石切場に立つと、異次元の空間に居るように感じられる。鵙の声が石の壁を鋭く跳ね返って、尖ったように聞こえた。聴覚を効かせた見事な感性で、この情景をよく捉えている。

飛驒山脈へ向く穭田の畝真直石川敏子

 穭田の畝が、飛驒山脈へ向いているという壮大な景色である。下五の畝真直の表現により、農家の人達の几帳面な働き様も想像できる。

父の背に歌ひし記憶星月夜菊地留美子

 育メンの優しいお父さんの思い出である。背中の温もりや愛情に包まれた喜びが今も忘れられず、心の支えになっている。