鑑賞「現代の俳句」 (56)                沖山志朴

産むときの口して鮭の死にゆけり吉田 葎〔空〕
[俳壇 2025年9月号より]
 周知のように鮭は川で産まれた後、いったん海へ下り、3,4年後、成魚となって産まれた川に戻ってくる。そして、産卵に適した場所を探し、川床に窪みを作っては、そこにたくさんの卵を産みつける。やがて体がぼろぼろになった鮭は、その川で静かに死を迎える。
 掲句「産むとき」と「死にゆけり」が対照的に配されているのが印象的。「産むとき」の行動は、次の命を繋ぐための生産的な必死の行動である。鮭は、口を大きく開け、体中の力を振り絞りながら卵を産む。それに対して、「死にゆけり」はまさに、全ての役割を終えて、この世から消えてゆくという静かで対極の行動である。作者は、この二つの相反する行動に同じ口の形、という共通性を見いだして、その意外性に思わず感動を覚えたのである。

律の声八重の声する秋海棠安田のぶ子〔同人〕
[俳壇 2025年9月号より]
 子規庵の庭での作。妹の律は、明治20年代の半ば頃、子規の看病のために母である八重とともに上京し、子規と一緒に暮らすようになったという。
 秋海棠は、秋の季語。薄紅色の花が、涼し気に咲く。どこかはかなげで、静かな情趣を漂わせるのが特徴の花である。子規庵の庭に立っていると、律の元気のよい母へ問いかける声や、それにすぐさま答える母八重の声が響いてくるようだという。親子3人の当時の暮らしぶりを秋海棠の咲く静かな庭に立って聴覚的に想像しては、一人感慨に耽る作者の姿が髣髴としてくる。

顔上げしとき滝音の小さくなる   阿部 信〔雛〕
[俳句四季 2025年9月号より]
 聴覚から視覚へと感覚が移動したときの感覚器官の錯覚を、文学的に巧みに表現した句である。
 作者の注意は、はじめは漠然と滝壺に向けられている。そのときの滝の音は、この上なく大きな音となって作者の全身に迫ってくる。しかし、作者の視点が滝の上部へと移ると、不思議なことに滝の音は幾分弱まる。それはすさまじい滝飛沫に圧倒された瞬間、聴覚から視覚へと感覚が移ったためである。その不思議さにふと気づいた瞬間の句。類想のない感覚の句である。

陸上部花野を走り抜けにけり甲斐のぞみ〔百鳥〕
[俳句四季 2025年9月号より]
 陸上部の放課後の練習なのであろう。この日は、トラックではなく、校外を隊列を組んで走っている。やがて花野にさしかかったその若者達の列は、瞬く間に広い花野を駆け抜けて見えなくなってしまう。
 陸上部の生徒達と花野の景との取合せが眼目。今を盛りと咲いている野の花々と、そこを走り抜ける若者達の姿。一面の植物の彩りと若者達の躍動感溢れる姿。自ずとその対照の妙に引き込まれてゆく。

終活を急き立ててをり虫時雨重城弥生〔好日〕
[俳句界 2025年9月号より]
 暑い暑いといっていた夏もようやっと過ぎて、季節はいつしか秋に。夜ともなれば、騒がしいほどにたくさんの虫が鳴き出す。若い頃は、秋の夜の風情として聴き入っていた虫の音も、高齢になった今では、まるで、死の準備を急かす天の声のようにも聞こえてきて、心を惑わせるという。
 遺言書を書かなくては、家財の整理を思い切ってしなくては等々、なすべきことはたくさんある。多くの高齢者が似たような心境で日々を過ごしているのではないかと想像する。虫の音と終活とのユニークな取合せが特色の句である。

み言葉の降りくるごとく星月夜 佐久間慧子〔葡萄棚〕
[俳句界 2025年9月号より]
 星月夜は秋の季語。月は出ていないものの、たくさんの星が輝き合って、まるで月の出ている夜のように明るく壮大な夜の様子のこと。
 一人静かに空一面の星々を仰いでいる作者。すると、あたかも、神々の語る言葉が地上の自分に向かって次々と降り注いでくるような不思議な心持ちになる。そして、宇宙の神秘ということについて、しみじみと考えさせられるというのである。壮大な宇宙の景、澄み切った空気と静寂の世界。まさに神秘の世界そのものである。

こはごはと渡る吊り橋渓紅葉  小暮年男〔阿吽〕
[俳句 2025年9月号より]
 渓谷の上から眺める紅葉は、水の美しさと相まってまさに絶景。多くの人は、その眺めの美しさを堪能しつつ、ゆっくりと吊り橋を渡る。しかし、いささか高所恐怖症の感のある作者は、それどころではない。吊り橋につかまりながら、一歩一歩慎重に渡る。景色を楽しむ心のゆとりなどない切羽詰まった状況。
 吊り橋を渡る不安な心情と、紅葉の絶景。その対照が見事に描かれ、句に質感が生まれた。