鑑賞「現代の俳句」 (57) 田中里香
土撫でて今年限りの田を植うる山田夏子〔雨月〕
[俳壇 2025年10月号より]
長年米作りに携わっていらしたのであろう。年齢のせいなのかその他の理由によるのかはわからないが、今年で終わりにすると決めた。様々な苦労はあったが、毎年収穫の喜びを恵与してくれた田の土を思わず撫でた。共に頑張った土への感謝と愛着であり、最後の収穫までよろしく頼むという気持ちであろう。そして、寂しさをも感じとれる。
事実だけを述べた句であるが「土撫でて」の一語によって、句の奥にある作者の感情を読み手が共有することが出来るのである。
身籠れる山羊を撫でやる草の花大沢美智子〔沖〕
[俳壇 2025年10月号より]
山羊は秋に身籠り、150日間の妊娠期間を経て春に出産期をむかえる。
秋の野に放たれてのんびり草を食べている山羊の中に、お腹の大きい山羊を見つけた。妊娠中でお腹が減るのか、無事に元気な子を産むための母親の本能なのか、一心に草を食んでいる。
草の花は、秋の山野に咲くいろいろな種類の花のことで、色も丈も様々だが総じて地味な印象がある。少し丈の高い花は山羊の脇腹を撫で、丈の低い花は身籠って膨れているお腹を撫でるように咲いている。ここはやはり華やか過ぎない秋の草花が相応しい。優しい気持になる句である。
きちかうの笑ひこらへし蕾かな五日市明子〔草笛〕
[俳壇 2025年10月号より]
桔梗は先のとがった五弁の花びらが星形に開き、紙で造られたような隙の無いきっちりとした印象の花である。その蕾はというと、五角形ではあるがぷっくりと膨らんだ風船のような形で、バルーンフラワーという英名を持つ。その風船のてっぺんが裂けて開花する。
掲句はその蕾を見て、笑いをこらえていると捉えた。なるほど、我慢しきれずに笑ってしまって開いたのかと思うと愉快だ。実直で生真面目な顔をして咲いて、時には寂しげに見えることもある桔梗だが、実は楽しくて仕方がないのかもしれない。
ただ生きることに徹せり蟻の列矢須恵由〔ひたち野〕
[俳句四季 2025年10月号より]
イソップ寓話の「アリとキリギリス」は、将来の困難に備えることの大切さを説く教訓として誰もが知る物語である。確かに蟻はひたすら休むことなく働いているように見える。列をなして歩いている蟻は食べ物を求めて歩き、それを巣へ運ぶことに徹する働き蟻である。働き蟻は蟻の社会の中で最も活動量が多く、短時間の睡眠を繰り返しつつ働いている。
生きるために食べる、食べるために働く。これは人間も含めて動物はみな同様であると思うが、働き蟻に遊び時間や休憩時間はあるのだろうか。蟻の列を見ていて自分の生き方をも考えさせられたのかもしれない。自然とじっくりと向き合い、もの想うのは俳句ならでは。
百年の駅舎に生まれ帰燕かな浅井民子〔帆〕
[俳句四季 2025年10月号より]
春に南方から飛来した燕は、人里近くに巣を作り5月ごろ産卵。その後、2~3週間で孵化する。
日本各地には、開業当時から百年以上そのまま残っている木造駅舎がいくつかあるらしく、有形文化財に登録されているものもある。その駅舎に飛来した燕が巣を作り子育てをした。そこで生まれた子燕たちも夏には巣立ち、しきりと飛び回る。そして秋には南へと飛び立っていく。燕は日本にいる間、身近に見られるので親しみがあり季節を感じさせてくれる。
古い駅舎と毎年そこで生まれる燕たち、どちらも失いたくない景色である。
人の名の出ぬまま釣瓶落しかな有我重代〔松籟〕
[俳句界 2025年10月号より]
人の名前が思い出せない。歳を重ねてくるとこの様なことは度々起こる。その名前を思い出そうと考えているうちに日が暮れてしまった。
釣瓶落しは「秋の日は釣瓶落し」という言葉から季語になった。秋分を過ぎるとみるみる迫る夕暮れに、せかされるような気持になる。思い出せないことが心に引っかかったまま、秋の夜を過ごすことになることも。
多くの共感を得られる日常の事柄に、釣瓶落しという季語を配したところに俳諧味を感じる。
ひとつづつ試してひよんの笛の穴齋藤朝比古〔炎環〕
[俳句 2025年10月号より]
晩秋に蚊母樹(いすのき)の下を探すと、枯葉に紛れてひょんの笛が落ちているのを見つけることが出来る。アブラムシの一種がいすのきの葉に作った虫こぶで、虫が出て行ったあと、中は空洞で出口の穴が丸く開いているので、吹くと笛のような音が出る。うずらの卵ほどの大きさのものだが、形や穴の大きさによって音色が違ってくる。
掲句はひょんの笛を見つけては吹いてみて、いい音の出るものが見つかるまで試している様子である。俳人は好奇心旺盛で、常に子供心を失わず野山で遊ぶ。秋の野山はおもちゃだらけで楽しい。
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