古典に学ぶ (109) 日本最高峰の物語文学『源氏物語』世界を繙く
─「宇治十帖」物語の病と死④ 八宮の病と死ー
                            実川恵子 

 「宇治十帖」の物語は、立場や外見を剝ぎ取られた、その人物の生のあり方に関心を寄せてる。八宮も、薫も、浮舟も、うわべの、「仮装」の自分を脱ぎ捨て、本当の「自分」を求めて彷徨するのである。都から宇治へ、宇治から京都の東部の仏道修行の地、小野の里へと舞台を移して語られていく。当時、都だけが価値の基準であった平安時代の貴族たちの秩序感覚を激しく揺さぶるものであったろう。ここには、都の価値・秩序への強い疑問が背景にあったのか。それは、天皇中心主義、都中心主義、光源氏中心主義への反発であった。そんな八宮の生き方への姿勢に魅せられた人物が、自分の出生に疑問を持つ薫であった。
 その薫が、秋の末、宇治訪問を思い立ち、馬で、人目を忍んで夜深く京を出立した。この「姫」巻前半あたりの自然描写は、薫の心情の動きと密接にかかわり合い、実に見事である。その場面を少し引用したい。

 入(い)りもて行(ゆくままに、霧ふたがりて、道も見えぬ繁木(しげき)の中をわけたまふに、いと荒(あら)ましき風のきほひに、ほろほろと落ち乱(みだ)るる木の葉の露の、散りかかるも、いと冷やかに、人やりならずいたく濡れたまひぬ。かかる歩きなども、をさをさならひたまはぬ心地に、心細く、をかしくおぼされけり。
 
 山おろしに堪へぬ木の葉の露よりもあやなくもろきわが涙かな

 (山にだんだん入って行くにつれて、霧が立ちこめて、道も見えないほど茂った木の中を分けてお進みになると、ひどく荒々しい風の勢いにほろほろと落ち乱れる木の葉の露が、散りかかってくるのも、たいそうひややかで、(人のせいでなく)自分から求めたことながら、ひどく濡れてしまわれた。このような外出なども、ほとんど慣れていらっしゃらないお気持ちには、心細くも、また興味深くもお思いになるのだった。そこで、次のような歌をお詠みになった。
 山から吹き下ろす風に耐えきれず、落ちる木の葉の露よりも、さらにいっそうわけもなく零れ落ちる私のもろい涙だなあ。)

 もの寂しい晩秋、薫の行く手は、霧が立ちふさがった山道にかかり、風に散る木の葉や袖を濡らす露に、すっかり心細くなった薫は、我が身が露よりもはかなく思われて、つい旅情のわびしさや、やるせなさにかられ、涙が零れたのであった。
 いわば、他人から強(し)いられたのでなく、自分から求めての忍び歩きで、宇治の自然が薫の涙を誘発したのであった。薫の心情の動きと密接にかかわっている。
 女三宮と柏木の密通の果てに誕生した薫は、成長するに及んで自己の出生に疑問を持ち、源氏の子ではないと気づき始めている。深い道心を持たない母女三宮のあまりにも早い出家も不審であった。懐疑心に満たされた薫に、幼き日の屈託のないのびやかなまなざしは、すでにない。光源氏の息子だからこそ、大事にされ、光源氏の息子であるからこそ、ちやほやされる。圧倒的な「父」の七光りの中で生きなければならなかった薫にとって、その光源氏の息子でないという事実がどれほど重いものであったかが想像される。「光源氏の息子」という肩書は通用しない。薫にとって唯一の人物である八宮のもとに、しぜんと吸引されていくのである。薫の求めていたのは、八宮の宗教上の知識ではなく、光源氏中心主義に対する反発と懐疑の姿勢なのである。