古典に学ぶ (116) 日本最高峰の物語文学『源氏物語』世界を繙く
─「宇治十帖」物語の病と死⑪大君の病⑤ ー
                           実川恵子 

 意識が混濁する中で大君は衰弱した顔を見られまい、醜い印象を残さないで死んでゆきたいと念じ続けている。薫との最後の対話の場面である。
 情況や内容をよく理解し、二人の思いを的確に読み取りたいと思う。
 大君の最後の言葉を聞こうとして薫は必死に語りかける。それは脅迫的とまでいえるような激しいものであった。

 「つひにうち捨てたまひてば、世にしばしもとまるべきにもあらず。命もし限りありてとまるべうとも、深き山にさすらへなむとす。ただ、いと心苦しうてとまりたまはむ御ことをなむ思ひきこゆる。」と答(いら)へさせたてまつらむとて、かの御ことをかけたまへば、顔隠したまへる御袖を少しひきなほして、「かくはかなかりけるものを、思ひ隈(ぐま)なきやうにおぼされたりつるもかひなければ、このとまりたまはむ人を、同じことと思ひきこえたまへと、ほのめかしきこえしに、違(たが)へたまはざらましかば、うしろやすからましと、これのみなむ恨めしきふしにてとまりぬべうおぼえはべる。」とのたまへば、「かくいみじうもの思ふべき身にやありけむ、いかにもいかにも、ことざまにこの世を思ひかかづらふ方のはべらざりつれば、御おもむけにしたがひきこえずなりにし。今なむ、悔しく心苦しうもおぼゆる。されども、うしろめたくな思ひきこえたまひそ。」などこしらへて、いと苦しげにしたまへば、修法(ずほふ)闍梨(ざり)ども召し入れさせ、さまざまに験(げん)あるかぎりして、加持(ぢ)まゐらせさせたまふ。我も仏を念ぜさせたまふこと限りなし。

 (薫は、「最後には私を振り捨てて行っておしまいなら、この世にしばらくもとどまることはできません。命が、もし定められている寿命があって生き残るようなことになりましても、深い山に分け入るつもりです。ただ、たいそうお気の毒な状態であとにお残りになるお方のことをご案じ申しあげるのです。」と、大君にご返事をしていただこうと思って、あの中君の御事におふれになると、大君は顔をお隠しになっているお袖を少しずらせて、「私の命は、このようにはかないものでありましたが、情け知らずの女のようにお思いになって来られましたのもどうすることも出来ませんので、この後にお残りになる方を、私と同じように思ってあげてくださいましと、それとなくお願い申しあげましたのに、もしそのとおりにしてくださいましたならば、私も安心できましたでしょうにと、このことばかりが恨めしいこととして心がこの世にきっと残りそうに思われるのでございます。」とおっしゃると、薫は「私は、このようにひどく嘆かねばならない身でしたのでしょう。何としても、他の方に愛情を向ける気持がございませんでしたので、ご意向に従い申し上げずにしまいましたのです。今となっては、悔やまれもし、おいたわしいことにも思われます。けれどもこの君のことは、ご案じにならないでください。」などと慰めて、とても苦しそうになさるので、修法の阿闍梨一同を呼び入れさせ、あれこれと効き目のある僧ばかりに御祈祷をお命じなさる。ご自身も仏をお祈りあそばすこと、かぎりもない。)

 「顔隠したまふ御袖を少しひきなほして」の箇所には、薫の目を見つめながら、必死の思いで妹のことを頼む大君の表情までもが感じ取れる。また、この時の二人の緊迫した心情が見事に描かれている。
 大君はとうとう薫に看取られながら世を去っていった。ついに薫の願いを拒みとおしたが、最後は薫を死の床に優しく招き入れ、気高く美しい顔面とその姿態をあらわに見せつつ死んでいったのは、自分の死後、情の薄い頑なな女として薫に記憶されることに耐えがたかったからなのである。