古典に学ぶ (123) 日本最高峰の物語文学『源氏物語』世界を繙く
─「病」と「死」を物語はどう描いたか⑦ 葵上③ ─
実川恵子
御息所が新斎院の御禊の日に、源氏の晴れ姿をそれとなく見ようと、網代車に御忍び姿で一条大路に出て行ったのも、源氏への捨てきれぬ執着ゆえであった。しかし、御息所は、折悪しく葵の上の一行と出会い、こぜりあいの末に、車の榻(しじ)もへし折られてしまった。御簾も引き破られ、散々な狼藉を受けたまま隅の方へ押しやられてしまった。多くの人々の環視の中で受けたこの屈辱は、誇り高い御息所の心を耐えがたく傷つけたのであった。
ものも見で帰らんとしたまへど、通り出でん隙(ひま)もなきに、「事なりぬ」と言へば、さすがにつらき人の御前渡りの待たるるも心弱しや。笹の隈(くま)にだにあらねばにや、つれなく過ぎたまふにつけても、なかなか御心づくしなり。げに、常よりも好みととのへたる車どもの、我も我もと乗りこぼれたる下簾(したすだれ)の隙間(すきま)どもも、さらぬ顔なれど、ほほゑみつつ後目(しりめ)にとどめたまふもあり。大殿(おおとの)のはしるければ、まめだちて渡りたまふ。御供(とも)の人々うちかしこまり、心ばへありつつ渡るを、おし消(け)たれたるありさまこよなう思さる。
御息所 影をのみみたらし川のつれなきに身のうきほどぞいとど知らるる
と、涙のこぼるるを人の見るもはしたなけれど、目もあやなる御さま、容貌(かたち)のいとどしう、出でばえを見ざらましかば、と思さる(葵巻・前半)。
(御息所は、見物もやめて帰ろうとなさるが、通り抜けて出る隙間もない。その時、「行列が来た。それお通りだ」というので、さすがにつれない人のお通りをお待ちする気になられるのも女心の弱さというもの。ここは「隈」ではあるが、「笹の隈」でさえもないからだろうか、馬もとめずにすげなく通り過ぎていらっしゃるにつけても、なまじちらとお姿を拝しただけに心も尽きはてる思いをなさるのである。なるほど、いかにも例年よりも趣向をこらして整えた数々の物見車の、我も我もとぎっしりと乗っている下簾の隙間隙間を、源氏は何気ない顔つきではあるが、ほほえみながら流し目にごらんになることもある。葵上の車はそれとはっきりわかるので、君はまじめな顔つきをしてお通りになる。お供の人々がそこでは畏まって、敬意を表しつつ通り過ぎるので、御息所は、葵上に圧倒されてしまった自分の姿をこの上もなくみじめにお思いになる。
影をのみ…(御禊の日の今日、影を宿しただけで流れ去る御手洗川のような君のつれなさゆえに、その姿を遠くから拝したわが身の運のつたなさがいよいよ身にしみてわかってきます)と、しぜんに涙がこぼれるのを人に見られるのも体裁のわるいことだが、まぶしいほどの大将の君のお姿やご容貌が晴れの場所であるほどいっそう引きたって見えるのを、もしこれを見なかったとしたらやはり心残りであっただろうとお思いになられる)。
この場面は、誇り高い女性である御息所の心情や源氏に対する思いを汲み取りたい。特に、引用文中の、「つらき人」や、「つれなく」、「なかなか」など、現代語と意味の異なる古語などに注意しながら理解したい。
また、文中でつぶやく御息所の歌は、「古今和歌集」巻二十、神遊び歌、「ささの隈檜(ひ)の隈川に駒(こま)とめてしばし水かへ影をだに見む」をとったもので、下に「あらむ」を省略している。「御手洗」の「み」に「見る」をかけ、「影」「うき」は川の縁語で、「水かへ」は、水を飲ませよの意で、せめて影なりとも見ようと思うのに、ささの隈でさえないからだろうか、すげなく行き過ぎてしまうと嘆くのである。無惨にも打ち砕かれた御息所の心模様を描くが、それでも源氏の姿をちらと見たことが僅かな慰めとなったのである。
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