古典に学ぶ (133) 日本最高峰の物語文学『源氏物語』世界を繙く
─「病」と「死」を物語はどう描いたかか⑰ 紫の上② ─
実川恵子
源氏と紫の上の関係は、はなはだ特殊なものであったといえるだろう。彼女が源氏の伴侶として尊ばれたことは、藤壺に似た美貌と優れた知恵と才覚の持ち主であり、それを深い愛情で導いた源氏の努力にもよるのだが、出会いの経緯からも明らかなように、その仲は世間の公認の関係とはいえなかった。それは、源氏の妻としての座に客観的な基盤がなかったのである。あの葵の上のように社会的に保証されることはなかった。しかも彼女は源氏の子を生むことがなかった。それらから判断すると、この二人をつなぐものとは、いわば愛情とか信頼をおいて他にはない。しかし、それ自体にはどんな客観性があるというのだろうか。これほど頼りなく不確かなものはないのである。
紫の上がそのことを明確につきつけられたのは、源氏の40歳の年、朱雀院の皇女、女三の宮が源氏の新しい妻として六条院に迎えられるという事態に直面した時であった。紫の上32歳、女三の宮は14、5歳の若さであった。宮はその身分から当然源氏の正妻となるべき人物である。紫の上は己の存在の根拠を奪われてしまったのである。絶望のただ中につきおとされたというべきであろう。しかし、この場で見苦しく取り乱すことは、源氏の伴侶として、六条院の女主人として生きてきた誇りが許さなかった。卑屈になることなく、この結婚を歓迎し、祝福するかのように振る舞った。その結果、六条院の秩序は紫の上の平常に自分を抑制する毅然たる態度によって調和的に保たれたのである。その姿は人々から尊敬され、源氏の愛情は昔のままに注がれることになる。だが、紫の上にとっては人知れぬ苦悩を押しころしつつ、かろうじて生きていく日々であった。
紫の上は、女三の宮の降嫁以来、心労が積もって発病した。肉体の生理的な病というよりは平癒することのない心の病であった。
そのような紫の上に出家の願いが抱かれるようになる。もうこれ以上俗世に生きてもどのような生きがいがあるのか、耐えきれぬ心労が積もりに積もって、それのみが生きる支えになるというようなことをふと漏らしたりする。『源氏物語』第二部、四十帖「御法(みのり)」は、紫の上の病と死を描く帖である。その物語は、紫の上の孤独や述懐が切々と語られ、また死の場面は実に悲しく、美しい。
「御法」帖、冒頭には紫の上の心情が次のように語られる。
みづからの御心地(ここち)には、この世に飽(あ)かぬことなく、うしろめたき絆(ほだし)だにまじらぬ御身なれば、あながちにかけとどめまほしき御命とも思されぬを、年ごろの御契(ちぎり)かけ離れ、思ひ嘆かせたてまつらむことのみぞ、人しれぬ御心の中(うち)にもものあはれに思されける。後(のち)の世のためにと、尊き事どもを多くせさせたまひつつ、いかでなほ本意(ほい)あるさまになりて、しばしもかかづらはむ命のほどは行(おこな)ひを紛(まぎ)れなくと、たゆみなく思しのたまへど、さらにゆるしきこえたまはず。
(紫の上ご自身のお気持としては、この世にこれ以上望むことはないし、気にかかる障(さわ)りさえもまったくないご境遇でいらっしゃるから、無理にでも生かしておきたいわが命ともお考えにならないのであるが、長年の院との御縁をふっつり断って、院にお嘆きをおかけすることだけを、誰にもいえないお胸の中でも身にしみて悲しくお思いになるのであった。後生のためにと思って、尊い仏事をあれこれいろいろお営みになられては、やはりなんとかしてかねて望みの出家を遂げて、ほんのしばらくなりとも、ともかくも生きている間は、仏道修行に専念したいと、絶えず思い、口に出してもおっしゃるが、院はどうしてもそれをお許しにならない。)
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