古典に学ぶ (135) 日本最高峰の物語文学『源氏物語』世界を繙く
─「病」と「死」を物語はどう描いたかか⑲ 紫の上④ ─
実川恵子
紫の上の命の滅びる寸前の源氏の心情はいかなるものだったか。前回引用部分に続き、秋に入った夕暮れ、紫の上は、源氏と明石の中宮にみとられながら露の命を終えた。
(明石の中宮)秋風にしばしとまらぬつゆの世をたれか草葉のうへとのみ見ん
と聞こえかはしたまふ御容貌(かたち)どもあらまほしく、見るかひあるにつけても、かくて千年(ちとせ)を過ぐすわざもがな、と思さるれど、心にかなはぬことなれば、かけとめむ方なきぞ悲しかりける。
(紫の上)「今は渡らせたまひね。乱り心地いと苦しくなりはべりぬ。言ふかひなくなりにけるほどといひながら、いとなめげにはべりや」とて、御几帳(きちやう)ひき寄せて臥(ふ)したまへるさまの、常よりもいと頼もしげなく見えたまへば、「いかに思さるるにか」とて、宮は御手をとらへたてまつりて泣く泣く見たてまつりたまふに、まことに消えゆく露の心地して限りに見えたまへば、御誦経(みずきやう)の使(つかひ)ども数も知らずたち騒ぎたり。さきざきもかくて生き出でたまふをりにならひたまひて、御物(もの)の怪(け)と疑ひたまひて、夜一夜(よひとよ)さまざまの事をし尽くさせたまへど、かひもなく、明けはつるほどに消えはてたまひぬ。
中宮は、秋風に…(秋風に吹かれてしばらくもとどまっていない露のようなこの世のさまを、誰が草葉の上だけのことと思いましょう、私どもも同じことでございましょう)
と、互いに歌をお詠み交わしになるこの方々のご器量は申し分なく、見るかいあるお美しさであるにつけても、院は、このままで千年も過ごす術があれば、というお気持ちになられるけれども、そうは思ってもかなわぬことなのであるから、消えてゆく命をひきとめる道のないのはなんとも悲しいことであった。
「もうお引きとりくださいませ。気分がひどく苦しくなりました。このようにどうにもならぬほど衰えた有様とは申せ、まことに失礼でございます」とおっしゃって、御几帳を引き寄せて横におなりになったご様子が、いつもよりもほんとに危うげにお見えになるので、「どのようなお具合なのですか」とおっしゃって、中宮がお手をおとりになって、泣く泣くご容態をごらんになると、ほんとうに消えてゆく露という感じがして、もうご臨終のご様子なので、御誦経の使者どもが、数知れずさし向けられる騒ぎとなった。以前にも、こういう状態で蘇生なさった、その時の例にならって、今度も御物の怪のしわざかとお疑いになって、一晩中手立てを尽くしてさまざまのことをなさったが、そのかいもなく、夜が明け果てるころにお亡くなりになった)
庭前の風に萩の枝が折れしなったり、元に戻ったりして、葉の上にとどまっていられそうにない露がふと消えるように、紫の上の命は果ててしまった。
「源氏物語」には多くの死が描かれるが、引用末尾の「消えはてたまひぬ」は先の「消えゆく露の心地して」とひびきあう表現であり、「(露の)消えはつ」とあるのは、紫の上だけである。はかない美しさを一層際だたせている。また、この場面の、三首の和歌が「露」を中心に据えた共通性をもちそれぞれの思いを歌いながら、人の世の死と愛、紫の上の死をめぐる哀感を盛り上げていることを味わいたいものである。
また、ここでもう一つ注目したいのは「宮は御手をとらへたてまつりて」とあり、紫の上は養い育てた中宮に手をとられながら世を終えた。紫の上は源氏の愛の中で生きたと言えるが、彼女が特に愛情を注いだのが、この中宮とその御腹に誕生した匂宮であった。女性として理想的に描かれた紫の上に実子を与えなかったことは、作者紫式部のはからいであろうが、その中宮に手を握られて世を去るというしみじみとした人生の意味と女性の感動的な姿が見えてくる。
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